下関市、門司市の神社巡りから2週間後の休みの12月8日。
この日は長崎県壱岐島に向けて出発ということで、唐津東港より10:20出航の第2便に間に合うように、朝4:30に家を出ました

ちょっと早すぎですが、フェリーに乗る前に三ヶ所の神社を回らないといけないので、これでも遅かったほうだと後で気づかされるのです・・・(^^;)
まず、日田市の日田インターから高速に乗り 佐賀県の多久インターで降ります。
そこから向かったのは唐津市の虹の松原、鏡山の西麓に鎮座する
【鏡神社】一ノ宮【鏡宮】(南向き)
≪御祭神≫
・息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)【息長足姫命・神功皇后】
二ノ宮【板櫃宮】(東向き)
≪御祭神≫
・大宰少貳藤原広嗣朝臣(だざいのしょうにふじわらのひろつぐあそん)【藤原広嗣】
「藤原広嗣の乱」により藤原広嗣が当地で処刑された10年後の天平勝宝2年(750年)、肥前国司に左遷された吉備真備(陰陽道の始祖)により、広嗣を祀る二ノ宮が創建されました。
鏡神社、鏡山は、古来、「
鏡の宮」・「
松浦(まつら)
の宮」とよばれ、神功皇后が三韓征伐の時に、鏡山の頂上に天神地祇を祀る祠を建て、戦勝を祈願をして鏡を納めると、その鏡が霊光を発したので、神功皇后が自ら斎主となり、自らの魂を鏡に込めて祀ったのが始まりと伝えられています。
(それで、その山を鏡山といい、神社を鏡神社というそうです)
また、三韓征伐の帰途、神功皇后がこの地で激しい陣痛に襲われ、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地にて無事に応神天皇を産みました。
このことから安産の霊験もあるとされ、境内には「
安産・長寿の霊水」があります。
鳥居を入ると、正面が
二ノ宮【板櫃宮】になっているので、神功皇后がいらっしゃる
一ノ宮【鏡宮】がどちらにあるのか一瞬迷ってしまいましたが、右側にありましたので、急ぎ足で息長帯比賣命(神功皇后)に御挨拶(^人^)
二ノ宮の大宰少貳藤原広嗣朝臣にも御挨拶(^人^)
鏡神社の境内には、『源氏物語』玉鬘の巻で大夫監が玉鬘へ詠んだ
『
君にもし 心たがはば松浦(まつら)なる 鏡の神を かけて誓はむ』
という歌碑もあります。
また、『紫式部日記』には、紫式部が筑紫の肥前の松浦にいる女友達に送った・・・
『
あひ見むと 思う心は 松浦(まつら)なる 鏡の神や そら似見るらむ』
その友達からの返事の和歌・・・
『
行きめぐり 逢ふを松浦(まつら)の鏡には 誰(たれ)をかけつつ 祈るとか知る』
と、その名があります(^^)
さて、写真も撮る暇なく、続いて長崎県松浦市の「
淀姫神社」に向かいます
【鏡神社】:佐賀県唐津市鏡⇒
[ 地図 ]
posted by miya at 00:00| 大分 ☀|
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