2014年02月01日

【脊振神社・下宮】(佐賀県神埼市)

佐賀県神埼市脊振町に鎮座する【脊振神社(せふりじんじゃ)下宮

脊振神社・鳥居.JPG

≪御祭神≫
 ・田心姫命(たごりひめのみこと) 
 ・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 ・湍津姫命(たぎつひめのみこと)
 ・弁財天(べんざいてん)【サラスヴァティー】


福岡県と佐賀県の県境に位置する標高1,054.6mの脊振山(せふりさん)
「境なため、國の背(境)が振れあうところ」というのがその名の最初の由来とされます。
その脊振山頂に鎮座するのが「脊振神社・上宮」
そして南南西の中腹、305号線沿いに鎮座しているのが、こちらの「下宮」です。

創建年代は不明ですが、神功皇后が三韓親征から帰国の際、無事に帰ってくることが出来たことに感謝して脊振山頂に宗像三女神をお祀りしたのがはじまりと伝えられます。

しかし冬は寒さが厳しく積雪も多いため参拝が困難なことから、上宮を遙拝する下宮が建立され、弁財天を合わせ祀ったのが「脊振神社・下宮」のはじまりです。

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2013年12月09日

【妻山神社】(佐賀県杵島郡白石町)

佐賀県杵島郡白石町馬洗に鎮座する【妻山神社】(つまやまじんじゃ)

第一の鳥居.JPG

≪御祭神≫
 ・柧津彦命(つまつひこのみこと)【五十猛命(いそたけるのみこと)
 ・柧津姫命(つまつひめのみこと)


JR肥前白石駅から西に約3.5kmの所の214号線と345号線が交差する付近に入口があります。

創始については悠遠の昔にして詳細は不明ですが、「日本書紀」などによると、素戔鳴尊の御子である五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋津姫命(おほやつひめのみこと)、柧津姫命(つまつひめのみこと)は初め、多数の樹木の種を持って韓國(からくに)に天降られ、そのまま、すべての樹木の種を日本に持ち帰られて、まず筑紫(九州)の杵島山(稲佐山)で、杉、樟、檜、槇(まき)など多数の樹木の種蒔きの成功と、その樹木の繁茂を祈られて種を蒔き、この地で発芽を見てから、大八洲國(日本全国)に蒔き植えに向かわれました。
やがて全山が緑に覆われ木の島と呼ぶようになったと伝わります。
【関連神社:稲佐山の稲佐神社

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2013年12月01日

【祐徳稲荷神社】(佐賀県鹿島市)

佐賀県鹿島市古枝に鎮座する【祐徳稲荷神社】(ゆうとくいなりじんじゃ)

祐徳稲荷神社.JPG

≪御祭神≫
 ・倉稲魂大神(うかのみたまのおほかみ)
 ・大宮賣大神(おほみやのめのおほかみ)【天宇受賣命/天細女命(あめのうずめのみこと)
 ・猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)


JR肥前浜駅から南南西に約2.5kmの県道282号線沿いに鎮座しています。

鹿島藩主鍋島直朝(なべしま なおとも)の夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛が、寛文2年(1662年)輿入れの際に京都御所内の稲荷大神の御分霊を勧請したのが始まりと伝わります。

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2013年11月04日

【稲佐神社】(佐賀県杵島郡白石町)

佐賀県杵島郡白石町に鎮座する【稲佐神社】(いなさじんじゃ)

神門より.JPG

≪御祭神≫
 ・五十猛神(いそたけるのかみ)
 ・大屋津姫神(おほやつひめのかみ)
 ・柧津姫神(つまつひめのかみ)
≪合祀≫
 ・阿佐王子(あさたいし/アジャテジャ)
 ・聖明王(しょうみょうおう/ソンワン)


JR肥前白石駅から南西約4kmの所にある稲佐山運動公園の南南西約200mの所に鎮座しています。

古来より杵島郡の東白石諸郷の鎮守として、杵島山中の一峰稲佐山の中腹に鎮座しています。
往古は稲佐山南の尾向横平に在ったとも伝わります。
創始については悠遠の昔にして詳細は不明ですが、「日本書紀」などによると、素戔鳴尊の御子である五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋津姫命(おほやつひめのみこと)、柧津姫命(つまつひめのみこと)は初め、多数の樹木の種を持って韓國(からくに)に天降られ、そのまま、すべての樹木の種を日本に持ち帰られて、まず筑紫(九州)の杵島山(稲佐山)で、杉、樟、檜、槇(まき)など多数の樹木の種蒔きの成功と、その樹木の繁茂を祈られて、大八洲國(日本全国)に蒔き植えられたと伝わります。

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2013年10月09日

【志賀神社】(佐賀県佐賀市)

佐賀県佐賀市川副町に鎮座する【志賀神社】(しがじんじゃ)

志賀神社 (2).JPG

≪主祭神≫
 志賀大神(しがおほかみ)
  ┗・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
  ┗・仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
  ┗・表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)【上津綿津見神】
≪配祀祭神≫
   ・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
   ・大國主神(おほくにぬしのかみ)
   ・少名毘古那神(すくなひこなのかみ)
   ・八重事代主神(やへことしろぬしのかみ)
   ・応神天皇(おうじんてんのう)
   ・菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
   ・源為朝命(みなもとのためとものみこと)


筑後川の支流、早津江川の川岸に沿うようにある「佐野記念公園」の西約200mの所に鎮座しています。

案内板などによると、貞観元年(859年)、有明海沿岸地方の総守護神として、志賀島(しかのしま)【福岡県福岡市東区】の「志賀海神社」(しかうみじんじゃ)より分霊され、当時は無人の洲のこの地に石の祠が建立されたと伝わります。
祠は汐の満に海中に没し、干に現れたりと、『志賀社旧記』に記されているそうです。
その後、次第に陸地化が進み人家集落ができて海と陸の交通交易の拠点となり、神社も荘厳を極め崇敬を集めたそうです。
特に竜造寺隆信以来鍋島家歴代藩主が尊崇し、なかでも明暦4年(1658年)鍋島光茂が奉寄進し全面改修されました。
昭和15年帝国海軍の祈誓神社となり大規模な改修事業が始まり昭和19年県社に昇格しましたが、敗戦とともに社格は廃止されました。



この時は、雨で写真が一枚しか撮れなかったので、また参詣の機会があれば、ここに追加して載せたいと思います。

志賀神社】:佐賀県佐賀市川副町大字早津江津400⇒[ Googleマップ ]

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2013年10月04日

【田島神社】(佐賀県唐津市)

佐賀県唐津市呼子町加部島に鎮座する【田島神社】(たじまじんじゃ)

田島神社 (2).JPG
旧:田嶋坐神社
≪御祭神≫
 ・田心姫尊(たごりひめのみこと)
 ・市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)
 ・湍津姫尊(たぎつひめのみこと)
≪配祀≫
 ・大山祇神(おほやまつみのかみ)
 ・稚武王尊(わかたけおうのみこと)【仲哀天皇の弟】


創祀年代は不詳ですが、宗像大社の辺津宮(宗像市田島)より勧請され、宗像大社の所在する地名「田島」をそのまま社名にしたと伝わります。
古くより海上交通の神として崇敬を集めていたそうです。
「延喜式」には松浦郡二座のうちの1座で名神大社に列せられていました。


この田島神社は、唐津市の北北西の先端、呼子の北にある加部島の西に鎮座しています。

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2013年09月25日

【唐津神社】(佐賀県唐津市)

佐賀県唐津市南城内に鎮座する【唐津神社】(からつじんじゃ)

唐津神社 (2).JPG

≪御祭神≫
 [一ノ宮]
  ・底筒男神(そこつつのをのかみ)
  ・中筒男神(なかつつのをのかみ)
  ・表筒男神(うはつつのをのかみ)
 [二ノ宮]
  ・神田宗次命(こうだむねつぐのみこと)
 [相殿]
  ・罔象女神(みつはのめのかみ) 


神功皇后(じんぐうこうごう)三韓出兵に際し住吉三神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)に航海の安全を祈願され、帰還の後 報謝のため松浦の海濱に宝鏡を捧げて三神を祀ったのが始まりと伝わります。
その後天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次(こうだむねつぐ)が神夢によって海上より1つの宝鏡を得、これはまさに神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったといいます。
文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田廣が社殿を改築し神田を寄進して、神田宗次 の霊を二ノ宮に勧請。
さらに慶長年中に寺澤氏が唐津城を築いた際、境内も整備し社殿を改築、また城内火伏のため罔象女神(みつはのめのかみ)を相殿に勧請したそうです。
以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けてきたといいます。

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2013年09月14日

【與止日女神社】(佐賀県佐賀市)

佐賀県佐賀市大和町に鎮座する【與止日女神社】(よどひめじんじゃ)

社殿.JPG

≪御祭神≫
 ・與止日女命(よどひめのみこと)[神功皇后の妹]



JR佐賀駅から263号線を北上し、佐賀大和インターを過ぎて左手に見える嘉瀬川に沿って約800m進んだ嘉瀬川の西岸に鎮座しています。

御由緒によると、欽明天皇25年(564年)に創祀されたと伝わります。
延喜式内社、のち肥前國一ノ宮と崇められ、弘長元年(1261年)正一位を授けられています。

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2010年02月08日

唐津港

妙見神社から、すぐ近くの唐津東港へ向かうと、またもやびっくりするほどの鷹の軍団に巡り逢いましたぴかぴか(新しい)

唐津ってもしや鷹の島・・・ぴかぴか(新しい)

さて、唐津東港の駐車場に車を停めると、おじちゃんが歩いてきて「ほうとう神社?」って声をかけてきました。

ほうとう神社?・・・って何?

あの島にほうとう神社があるらしい。。。

IMG_3173.JPG
「立入禁止」の看板があるけど、立ち入り禁止ではありません(笑)

有名な神社?

。。。と思ったら、宝くじが当たると評判の神社だそうで【寶當神社】と書くそうです(^^)

島の名前は「高島」
IMG_3174.JPG
あ!だから鷹(たか)がいっぱい?違うかな(^^;)

いつかご縁があれば行かせていただきますっ!ということで遥拝(^人^)

ちなみに、唐津東港から寶當神社への船はでていませんので行かれる方は気をつけて下さいね。

さてフェリーに乗って壱岐島まで出発(^^)/ダッシュ(走り出すさま)
フェリーにて.JPG


IMG_3171.JPG 025.JPG

【唐津東港】[ 地図 ]
●運航:唐津東−壱岐(印通寺)
●運航時間:九州郵船ホームページへ⇒http://www.kyu-you.co.jp/index.php
●駐車場:あり(駐車料金 必要)
ラベル:佐賀県
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2010年02月05日

【妙見神社】(佐賀県唐津市)

長崎県松浦市の「淀姫神社」より次に向かったのは、佐賀県唐津市 唐津港の近くに鎮座する
妙見神社】(みょうけんじんじゃ)

社号の別称 大恩智 妙見宮 ・ 北面山 妙見宮
1.妙見神社.JPG
≪御祭神≫
 ・天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)

天之御中主神は、天と地が初めて分かれた時、高天原(宇宙)に現れた最初の神です。
次に現れた高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かむむすひのかみ)とともに「造化三神(ぞうかさんしん)」といわれ万物造化の先駆けとなった神さまですぴかぴか(新しい)

「妙見信仰の由来」
御鎮座は、今から1300年を遡る大宝元年(701年)文武天皇の御代と伝えられ、妙見信仰発祥の時代で、また日本の文化が大陸からもたらされた時期であり、その交流の場となり活躍した人達の信仰から生まれたのが創祀の起源と考えられる。
妙見さまとは、北辰妙見の菩薩の略号である。北辰・北斗の星辰信仰として中国から伝来した菩薩で奇瑞の霊徳を示現する神、妙見と号された。この神を祭れば災厄を免ぬかれ長寿富貴に恵まれると云われ、古く奈良から平安時代にかけて庶民の間に親しまれ、延暦年間には熱烈な信仰が記録されている。
(由緒板より)

この妙見神社に着くと、たくさんの鷹がすぐ頭上を飛び回っていて驚きましたぴかぴか(新しい)
天之御中主大神の御使いなのかもしれませんね(^^)

鳥居
2.妙見神社.JPG

鳥居をくぐりまず迎えてくれるのが、亀?龍?犬?・・・と狛犬たち


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ラベル:神社 佐賀県
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2010年02月04日

【鏡神社】(佐賀県唐津市)

下関市、門司市の神社巡りから2週間後の休みの12月8日。

この日は長崎県壱岐島に向けて出発ということで、唐津東港より10:20出航の第2便に間に合うように、朝4:30に家を出ましたダッシュ(走り出すさま)

ちょっと早すぎですが、フェリーに乗る前に三ヶ所の神社を回らないといけないので、これでも遅かったほうだと後で気づかされるのです・・・(^^;)

まず、日田市の日田インターから高速に乗り 佐賀県の多久インターで降ります。

そこから向かったのは唐津市の虹の松原、鏡山の西麓に鎮座する鏡神社
一ノ宮【鏡宮】(南向き)
≪御祭神≫
 ・息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)【息長足姫命・神功皇后】

二ノ宮【板櫃宮】(東向き)
≪御祭神≫
 ・大宰少貳藤原広嗣朝臣(だざいのしょうにふじわらのひろつぐあそん)【藤原広嗣】
「藤原広嗣の乱」により藤原広嗣が当地で処刑された10年後の天平勝宝2年(750年)、肥前国司に左遷された吉備真備(陰陽道の始祖)により、広嗣を祀る二ノ宮が創建されました。


鏡神社、鏡山は、古来、「鏡の宮」・「松浦(まつら)の宮」とよばれ、神功皇后が三韓征伐の時に、鏡山の頂上に天神地祇を祀る祠を建て、戦勝を祈願をして鏡を納めると、その鏡が霊光を発したので、神功皇后が自ら斎主となり、自らの魂を鏡に込めて祀ったのが始まりと伝えられています。
(それで、その山を鏡山といい、神社を鏡神社というそうです)

また、三韓征伐の帰途、神功皇后がこの地で激しい陣痛に襲われ、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地にて無事に応神天皇を産みました。
このことから安産の霊験もあるとされ、境内には「安産・長寿の霊水」があります。

鳥居を入ると、正面が二ノ宮【板櫃宮】になっているので、神功皇后がいらっしゃる一ノ宮【鏡宮】がどちらにあるのか一瞬迷ってしまいましたが、右側にありましたので、急ぎ足で息長帯比賣命(神功皇后)に御挨拶(^人^)
二ノ宮の大宰少貳藤原広嗣朝臣にも御挨拶(^人^)

鏡神社の境内には、『源氏物語』玉鬘の巻で大夫監が玉鬘へ詠んだ
君にもし 心たがはば松浦(まつら)なる 鏡の神を かけて誓はむ
という歌碑もあります。

また、『紫式部日記』には、紫式部が筑紫の肥前の松浦にいる女友達に送った・・・
あひ見むと 思う心は 松浦(まつら)なる 鏡の神や そら似見るらむ
その友達からの返事の和歌・・・
行きめぐり 逢ふを松浦(まつら)の鏡には 誰(たれ)をかけつつ 祈るとか知る
と、その名があります(^^)

さて、写真も撮る暇なく、続いて長崎県松浦市の「淀姫神社」に向かいますダッシュ(走り出すさま)

【鏡神社】:佐賀県唐津市鏡⇒[ 地図 ]
ラベル:神社 佐賀県
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