2013年02月01日

【赤間神宮】(山口県下関市)

山口県下関市阿弥陀寺町に鎮座する【赤間神宮】(あかまじんぐう)

水天門より.JPG

≪御祭神≫
 ・安徳天皇(あんとくてんのう) 【水天皇大神】


寿永4年(1185年)3月24日、壇ノ浦の合戦の平家の敗北により、安徳天皇は御歳僅か八歳の幼さで、平家一門とともに壇之浦に入水崩御されました。

最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)に抱き寄せられた幼い安徳天皇は、「尼ぜ、私をどこへ連れていくのか」と問いかけると、二位尼は涙をおさえて「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます」と答えて、安徳天皇とともに壇ノ浦の急流に身を投じたと伝わります。

安徳天皇の御遺体は発見できなかったそうですが、赤間ヶ関(下関)の紅石山麓の阿弥陀寺境内に奉葬し、建久2年(1191年)勅命により御陵上に御影堂が建立され、建礼門院御乳母の女 少将の局命阿尼を奉仕させました。これが赤間神宮の始まりです。以後、勅願寺として崇敬を受けてきました。

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2013年01月28日

【豊功神社】(山口県下関市)

山口県下関市長府宮崎町に鎮座する【豊功神社】(とよことじんじゃ)

社殿.JPG

≪御祭神≫
 [左殿]・櫛崎八幡大神(くしざきはちまんおほかみ)
 [中殿]・豊功大明神(とよことだいみょうじん)
 [右殿]・大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)


御祭神は、応神天皇・神功皇后・比賣大神・武内宿祢・大国主神・穂田元清・毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩主をお祀りしています。

神話伝説の島として知られる「満珠」「干珠」の二島を展望する絶景の地に鎮座する豊功神社は、古くより「櫛崎八幡宮」の鎮座地でしたが、慶長7年(1602年)毛利秀元(もうり ひでもと)公が当地に城を構えるにあたり、毛利氏の守護神「宮崎八幡宮」を安芸国(あきのくに)【安芸高田市吉田町】より勧請して中殿に祀り、左に「櫛崎八幡宮」を遷され、右に「高良大明神」を祀って、『宮崎八幡宮』と称し、毛利光広(もうり みつひろ)公の時に『松崎八幡宮』と改称されました。

天保5年(1834年)毛利秀元の霊祠に「豊功大明神」の称号が許され、慶応2年(1866年)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて「豊功社」と名づけられ 明治10年には「豊功神社」と改称されました。
さらに大正6年(1917年)6月には「松崎八幡宮」と合祀することになり、現在地に移遷されたそうです。
また、御祭神の大国主神は、昭和時代に大国社より合祀されたようです。

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2013年01月23日

【袖掛神社】(山口県下関市)

山口県下関市菊川町大字上保木に鎮座する【袖掛神社】(そでかけじんじゃ)

社殿.JPG

≪御祭神≫
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・素戔嗚神(すさのをのかみ)
 ・櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)


創建は、明徳元年(1390年)と伝わります。
古くは「妙見社」と称され、袖掛山の山頂に鎮座していたそうですが、後に麓の現在地に遷座し、明治2年(1869年)に「袖掛神社」と改称されたそうです。


袖掛神社は、小月インターから国道491号線を北上し、6kmほど進んだところにある「菊川町上岡枝」信号を右折して県道233号線に入り、木屋川を渡って、ちょうどカーブの途中を左折し、200m進んだ所に鎮座しています。

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2013年01月19日

【日瀬神社】(山口県下関市)

山口県下関市菊川町大字久野に鎮座する【日瀬神社】(ひのせじんじゃ)

鳥居  (3).JPG

≪御祭神≫
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
 ・神産巣日神(かむみむすひのかみ)
 ・大国主神(おほくにぬしのかみ)


創建は不明ですが、古くは「妙見社」と称されていたそうです。

御祭神の内、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かむみむすひのかみ)の三柱の神は、天と地の始まりの初めの時に、高天原に成られた(出現された)神で、造化参神(ぞうけさんしん)、別天神(ことあまつかみ)【一般の天神とは異なる特別な天神。特別に高位にある神】といいます。

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2013年01月17日

萩の松陰さま【松陰神社】

みなさま、こんにちは!

今週は、山口に初詣に行ってきましたが、萩市に吉田松陰さまを祀る「松陰神社」があると聞き、行ってきました(^∀^)

松陰神社.JPG

≪御祭神≫
 ・吉田矩方命(よしだのりかたのみこと) 【吉田松陰(よしだしょういん)


歴史好きな方には、かなり有名な幕末維新時代のお方でございます。
松下村塾を開塾して、有名な久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などを教育されていった方でございます。


             松下村塾(国指定史跡)
松下村塾.JPG 松下村塾 (3).JPG

松陰先生が安政4年(1857年)主宰した私塾です。
ここで、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育ちました。
今でも、この当時の息吹が聞こえてくるかのようでした。


幕末維新時代が好きな私は新撰組が好きなのですが、あの時代に一生懸命尽くした長州の方々も好きなので、思いがけずその歴史に触れることが出来て嬉しい限りでした。

松陰先生御教訓入りお御籤というのがありましたので、私もお言葉を。。。と頂いてきました。

この日再びし難く此の生復(ま)たし難しこの事終らざればこの身息(や)まず

〜この一日、この一生は二度とかえらない。目の前の仕事を命がけでやろう。〜

有り難いお言葉、ありがとうございます。

空.JPG

ラベル:萩市 吉田松陰
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2013年01月13日

【美榮神社】(山口県下関市)

山口県下関市菊川町大字楢崎に鎮座する【美榮神社】(みさかじんじゃ)

美榮神社 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・大国主命(おほくにぬしのみこと)
 ・須佐之男命(すさのをのみこと)
 ・須勢理毘売神(すせりびめのかみ)
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
 ・神産巣日神(かむみむすひのかみ)
 ・可美葦芽彦遅神 (うましあしかびひこぢのかみ)
 ・天之常立神 (あめのとこたちのかみ)  
 ・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
 ・伊邪那美神(いざなみのかみ)
 他柱


創建は不詳ですが、出雲國の杵築大社【出雲大社】より神霊を勧請したと伝わります。
また、古くは貴飯山(きばやま)の山頂に上宮、南麓には下宮が鎮座し「北辰社」また「妙見社」と称されてたそうです。
享和3年(1803年)現在の社号「美榮神社(みさか/みさかひじんじゃ)と改称されました。

また、平成14年(2002年)国道491号線拡張のために、西に数十m移動し、社殿も建てかえられて、新しくなっています。


中国自動車道の小月インターを降りて、国道491号線を約10km北上していけば、田園風景が広がる左手に見えてきます。

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2013年01月07日

【杜屋神社】(山口県下関市)

山口県下関市豊浦町大字黒井に鎮座する【杜屋神社】(もりやじんじゃ)

拝殿.JPG

≪御祭神≫
 ・三穂津姫神(みほつひめのかみ)
≪配祀≫
 ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
 ・応神天皇(おうじんてんのう)
 ・神功皇后(じんぐうこうごう)
(配祀:厚母八幡宮、萩尾八幡宮、両社を合祀)


長門国三ノ宮です。
「豊浦町史」によると、杜屋神社蔵の延宝3年の『大宮司堀立亀松丸口伝』には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が筑紫(つくし)からの帰途、荒波に見舞われたところ、三穂津姫命(みほつひめのみこと)の奇魂幸魂と名のる貴女に導かれて、毛呂(室津郷)の長浜に無事に到着したことにより、新岩屋を作り祀ったと伝えられているそうです。
また、元文2年の『大宮司浜田出羽守長元誌』には、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が豊浦宮に行幸された時、毛呂の里に、霊光あって訪ねたところ、三穂津姫命の神託を受けたので、新岩室屋を築き祀ったとも伝えられています。

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2013年01月04日

【福徳稲荷神社】(山口県下関市) 

山口県下関市豊浦町宇賀に鎮座する【福徳稲荷神社】(ふくとくいなりじんじゃ)

福徳稲荷神社 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・倉稻魂大神 (うかのみたまのおほかみ) (谷川稲荷)下社
≪配祀≫
 ・大宮能賣大神(おほみやのめのおほかみ) (谷森稲荷)中社
 ・大市比賣大神(おほいちひめのおほかみ) (谷嶽稲荷)奥社


第12代景行天皇(けいこうてんのう)、安須波(やすなみ)の原に御臨幸の際、姫菖蒲(ひめあやめ)を叡覧され、その美景に見いられて、いぬこと(帰ること)を忘れられたので、それ以来、この所を「いぬなきやま」(犬鳴山/稲城山)と称されているそうです。


御由緒は、1000余年の昔、宇賀の湯玉在(ゆたまざい)【鎮座地より北に約1.8q】に、一本釣りの漁師である年老いた父と仲睦ましい姉弟がいて貧しいながらも幸せに満ちた日々をおくっていたといいます。
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2012年12月23日

【嚴島神社】(山口県下関市)

山口県下関市上新地町に鎮座する【嚴島神社‎ 】(いつくしまじんじゃ)

神門 A.JPG

≪御祭神≫
 ・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 ・田心姫命(たごりひめのみこと)
 ・湍津姫命(たぎつひめのみこと)


JR下関駅から、国道191号線を約900m北上し「厳島神社前」信号を右折すると、左手に鳥居が見えてきます。

『嚴島神社記録帳』によると、安芸国(あきのくに)嚴島神社【広島県宮島の厳島神社】の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりされていましたが、壇ノ浦の合戦後 磯辺に放棄されていたのを、里人に「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と神託があり、不思議に思いながら、そこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物を見つけ、文治元年(1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国嚴島神社【広島県宮島の厳島神社】より御分霊をあらためて勧請し、お祀りされたと伝わります。

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2010年01月29日

【仲哀天皇殯斂地】(山口県下関市)

忌宮神社より600m南に位置する日頼寺(にちらいじ)、その境内右手にある土肥山(どいやま)の坂を登っていくと、仲哀天皇の仮埋葬の地という仲哀天皇殯斂地(ちゅうあいてんのうひんれんち) があります。

この地は、古事記に『殯宮(あきらのみや)』とある場所で、「さまざまな罪の類を列挙して、国家的な大祓の儀礼を行った・・・」という場所でもあります。

手前には鉄の門があり、ここを開けて中に入れるのかと思いましたが、「入ってはだめ」と友人にいわれ、その前にて参拝をさせていただきました。

筑紫の香椎(現:福岡県 香椎宮 古宮跡)で崩御された仲哀天皇の御遺体はこの地に仮埋葬され、後に大阪府藤井寺市に本埋葬されたそうです。
(岡ミサンザイ古墳。惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ))

【仲哀天皇殯斂地】[ 地図 ]
山口県下関市長府侍町一丁目「日頼寺」内

ラベル:山口県 神社
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2010年01月28日

【忌宮神社】(山口県下関市)

山口県下関市長府宮の内町に鎮座する長門国二ノ宮【忌宮神社】(いみのみやじんじゃ)

帶中日子天皇、坐穴門之豐浦宮、及筑紫訶志比宮。治天下也。』(古事記)
帯中日子天皇(仲哀天皇)は、穴門の豊浦宮(山口県下関市 忌宮神社の位置)、
及び筑紫の訶志比宮(福岡県 香椎宮 古宮の位置)を拠点に天下を治めました

忌宮神社.JPG

≪御祭神≫
 ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)【帯中日子命(たらしなかつひこのみこと)
 ・神功皇后(じんぐうこうごう)【息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)
 ・応神天皇(おうじんてんのう)【誉田別尊(ほむだわけのみこと)


忌宮(いみのみや)神社は、第14代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため、神功皇后とともにこの地に仮の皇居「豊浦宮」を設けられ 7年間政治(まつりごと)を行われた旧祉で、天皇が筑紫の国【福岡県】の香椎【香椎宮の古宮跡】で崩御(ほうぎょ)されたのちその御遺体をここより南方の土肥山(仲哀天皇殯斂地)に仮埋葬し、御神霊を鎮祭して「豊浦宮」と称したのが始まりです。

その後、聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎(ほうさい)して「忌宮」と称し、さらに応神天皇をお祀りして「豊明宮」称し、三殿別立(さんでんべつりゅう)の古社(延喜式内社)でしたが、中世における火災で豊浦宮、豊明宮が焼失、中殿の「忌宮」に合祀して一殿となり、『忌宮』をもって総称するようになりました。
(「忌」とは斎(いみ)と同意語で、特に清浄にして神霊を奉斎する意味です。)

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ラベル:神社 山口県
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2010年01月27日

【住吉神社・住吉荒魂本宮】(山口県下関市)

山口県下関市一の宮に鎮座する【住吉神社・住吉荒魂本宮

住吉荒魂神社@.JPG
拝殿(重文)と本殿(国宝)

≪御祭神≫本殿向かって左から拝しまつる
・第一殿 住吉大神・荒魂(すみのゑ[すみよし]おほかみ・あらみたま)
・第二殿 応神天皇(おうじんてんのう)
・第三殿 武内宿祢命(たけうちのすくねのみこと)
・第四殿 神功皇后(じんぐうこうごう)
・第五殿 建御名方命(たけみなかたのみこと)

住吉(すみのゑ)大神は、伊邪那岐命が黄泉の国(死の世界)から帰って、(穢を洗い清めて、曲がった心【禍(まが)】を直されてさらに)水中で身体を振って洗い清めた時に出現された神様です。
仲哀(ちゅうあい)天皇の9年(200年)、神功皇后(じんぐうこうごう)が、新羅国等へ外征の際
吾 和魂(にぎみたま)は 玉身(みみ)に服いて寿命を守り、荒魂(あらみたま)は先鋒となりて 師船(みいくさのふね)を導かん』との神託により大神を守神として進軍いたし、神助により交戦することなく戦勝しました。
凱旋の折には『吾荒魂は穴門の山田邑に祀れ』と神託があり、神功皇后が現在地に、その「荒魂」を鎮祭したのが住吉神社の始まりです。

「荒魂」というと、荒々しくて恐いイメージを思い浮かべるかもしれませんが、積極果敢(活動的・行動的)に物事を成就させるという神魂です(^人^)ぴかぴか(新しい)

この住吉神社には、北九州から下関市の関門トンネルを出て国道2号線を約2Km北上。途中県道34号線(山の谷信号)に入り約800m先を右にまがって400m進むと到着。
(又、山の谷信号から県道34号に入らず国道2号線を約600m進んだ先を左に曲がって400m進むと到着)

最初に目に留まったのは、この社殿の色合いと本殿の造りぴかぴか(新しい)
・・・なんて色気がある神社なんでしょうぴかぴか(新しい)
いえ、いやらしい意味ではありません(笑)

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2010年01月24日

【亀山八幡宮】(山口県下関市)

さて、福岡神社巡りから一周間後の休みの日、この日は九州より出て、山口県下関市までやってきました(^^)

最初に向かったのは
山口県下関市の中之町に鎮座する【亀山八幡宮】(かめやまはちまんみや)

亀山八幡宮@.JPG

≪御祭神≫
 ・応神天皇(おうじんてんのう)【誉田別尊(ほむだわけのみこと)・八幡大神】
 ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)【帯中日子命(たらしなかつひこのみこと)
 ・神功皇后(じんぐうこうごう)【息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)
 ・仁徳天皇(にんとくてんのう)【大雀命(おほさざきのみこと)
(御遺徳は世界最大の御陵・仁徳天皇陵として祀られています。)



平安時代・貞観元年(859年)、宇佐八幡宮(大分県)から 八幡大神が京都の石清水八幡宮に勧請される途中、この島の麓に停泊されました。
その夜、『此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉りて路を進むべし』とのご神託により、勅使は国主に命じて仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝えられています。

この地は古くは島だったそうで、「亀山」という名称は島の形が亀に似ていたとも、宇佐の八幡大神がお祀りされている山が亀山だったからともいわれているそうです。



          「山陽道碑」
山陽道.JPG  鳥居の左側にはこんな碑が・・・

ここは山陽道の基点
九州渡航の起点なり
山陽道第一番なり
(長門国志)

 亀山八幡宮の麓は、山陽道の起終点に当たり、
 九州渡航の要地として関所(船番所)が置かれ
 ていたそうですひらめき

 また、周防灘三海関(上ノ関、中ノ関、下ノ関)
 の一つということで、下関市の名称はこれに由来
 しているそうペン 


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