2014年08月17日

【白髭神社】(福岡県北九州市小倉南区)

福岡県北九州市小倉南区蜷田に鎮座する【白髭神社】(しらひげじんじゃ)

白髭神社・鳥居.JPG

≪御祭神≫
 ・猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)
 ・天鈿女命(あめのうずめのみこと)
 ・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
 ・太玉命(ふとだまのみこと)
 ・太田命(おおたのみこと)


陸上自衛隊小倉駐屯地から東、北九州都市高速道路1号線を挟んだ約400mの所に鎮座しています。

猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)は、天孫・邇邇芸命(てんそん・ににぎのみこと)御一行が高天原より天降りされる際、天の八衢(あめのやちまた:天空の道の岐路)で出迎え、竺紫の日向の高千穗の久士布流多氣(つくしのひむかのたかちほのくしふるたけ)まで道案内をされた神です。

御由緒等によると、猿田彦大神は、お役目を無事に終えられた後、天鈿女命(あめのうづめのみこと)と共に天鳥船(あめのとりふね)に乗って伊勢に向かわれる途路、「この丘は朝日の直射す、夕日の日照らす丘なり」と現在神社の建つ丘に暫くご休息になりました。
大神達はその後、伊勢の五十鈴の川上に鎮まりましたが、里人は大神達が立ち寄られたこの丘を神聖な地と崇め、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとだまのみこと)を合わせ祀って『白髭大神』と称え、社殿を造り産土神(うぶすなのかみ)とされたそうです。


白髭神社・社殿.JPG



神額                       拝殿より
神額.JPG 白髭神社・拝殿より.JPG



社殿
白髭神社・社殿 (2).JPG


白髭神社】:福岡県北九州市小倉南区蜷田⇒[Googleマップ]

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2013年06月07日

【榎の井戸】(福岡県太宰府市)

福岡県太宰府市朱雀4丁目にある【榎の井戸】(清明の井)

榎の井戸.JPG


太宰府天満宮境内飛地にある神社「榎社(※)」から東へ歩いて2分の所にある「榎の井戸」(えのきのいど)。「清明の井」とも呼ばれています。

平安時代中期の有名な陰陽師 安倍晴明(あべのせいめい)の神託により開かれたといわれ、どんな日照りの時でも水が涸れないといわれています。

榎の井戸 (4).JPG 榎の井戸 (3).JPG

≪御祭神≫
 ・彌都波能賣神(みつはのめのかみ)
 ・鳴雷神(なるいかづちのかみ)
 ・御井神(みゐのかみ)

出産時にこの水を使うと安産であるという信仰もあります。
祠の中に三角形の板状の石が置かれていて、これは水を守る神様を現しているそうです。


榎の井戸】(清明の井):福岡県太宰府市朱雀4丁目
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※「榎社」(福岡県太宰府市朱雀六丁目)・・・菅原道真が、901年(昌泰4年・延喜元年)大宰府に左遷されてから903年(延喜3年)に逝去するまで謫居した跡で、当時、府の南館であったといわれます。

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2013年05月31日

【須佐能袁神社】(福岡県久留米市)

福岡県久留米市草野に鎮座する【須佐能袁神社】(すさのをじんじゃ)

須佐能袁神社.JPG
≪御祭神≫
 [中座]・須佐之男命(すさのをのみこと) 
 [右座]・天照大御神(あまてらすおほみかみ)
 [左座]・菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)


JR筑後草野駅から南西約500m、151号線沿いに鎮座しています。

古くは草野祇園社と称されていた須佐能袁神社は、建久8年(1197年)平家討伐に軍功があり、源頼朝から筑後国在国司 押領使に任じられていた竹井城主・草野永平(くさの ながひら)が京都の八坂神社より勧請し創建されたと言われ、草野家代々の守護神として崇敬厚く奉祀されてきました。
後に草野家は発心城(ほっしんじょう)に移り、その後の天正15年(1588年)、豊臣秀吉が九州平定の際、草野家の末裔である発心城主・草野家清(くさの いえきよ)が山門郡南関で蜂須賀阿波守(はちすがあわのかみ)に謀殺され、これにより草野家が滅亡、神社も荒廃していきましたが、草野家に代わって草野町民の手により今日まで氏神として奉祀されてきたそうです。

神仏混合時代には「勝光山祇園寺」とも呼ばれていたそうですが、明治4年に神仏分離の政令により「須佐能袁神社」と称するようになったそうです。

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2013年05月10日

【伊勢天照御祖神社】(福岡県久留米市)

福岡県久留米市大石町に鎮座する【伊勢天照御祖神社】(いせあまてるみおやじんじゃ)

伊勢天照御祖神社・社殿.JPG

≪御祭神≫
 ・天照国照彦天火明尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)【饒速日命(にぎはやひのみこと)】 
             ┗・・・[天忍穂耳命と栲幡千千姫命の御子、瓊々杵尊の兄]


JR久留米駅の南西約500mのところに鎮座しています。
地元では、大石神社と呼ばれ、古くは、天照御前神社、大石太神宮などとも称されていたようです。
「延喜式」神名帳に記載されている、筑後國三井郡三座のうちのひとつ。

創始年代は不詳ですが、古の昔、物部氏によって祭祀されたのが始まりのようです。
御神体は、御本殿土間にある巨石で、この霊石が年々肥大するという伝承があります。


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2013年04月09日

【天照神社】(福岡県宮若市)

福岡県宮若市磯光に鎮座する【天照神社】(あまてるじんじゃ)

天照神社・神門.JPG

≪御祭神≫
 ・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
 ・八幡大神(はちまんおほかみ)
 ・春日大神(かすがおほかみ)
 ・応神天皇(おうじんてんのう)
 ・天児屋根命(あめのこやねのみこと)


鎮座は古く、第11代垂仁天皇16年(紀元前13年)宮田町の南に聳える笠置(笠城)山頂に饒速日命(にぎはやひのみこと)が降臨し、同77年(西暦48年)笠置山頂に奉祀したことに始まると伝わります。
後の允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御代、宮殿を山麓の「千石穂掛谷」に遷し、淳和天皇(じゅんなてんのう)の天長5年(828年)更に「明野の里」(現:脇野)に遷し奉りました。
花園天皇(はなぞのてんのう)の延慶元年(1308年)、『白き鶴の住む里に廟を遷すべし』との神託があり、今の社地 鶴田に遷し奉られました。
西國探題惣政所玄朝(そうまんどころげんちょう)社殿を造営し、社領神田を献上。のち粥田庄の総廟と定められました。
また、藩主黒田長清(くろだ ながきよ)、元禄(1688〜1704)・正徳(1711〜1715)の両年中に社殿を造営・修覆し、さらに藩の儒官貝原益幹(かいばら えきけん)に命じて、天照宮の縁起一巻(『鞍手郡磯光神社縁起』貝原益軒著)を奉記させたといいます。
累代の領主・藩公・郡奉行等よりの奉納多く、社殿の社麗と祭祀の隆盛とは地方に比すべきものなかったと謂います。

後世に至り、八幡大神外三座を相殿に配祀したそうです。

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2013年04月03日

【高倉神社】(福岡県遠賀郡岡垣町)

福岡県遠賀郡岡垣町高倉に鎮座する【高倉神社】(たかくらじんじゃ)

参道階段と社殿.JPG

≪御祭神≫
 ・天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ) 
 ・大倉主命(おほくらぬしのみこと) 
 ・莵夫羅媛命(つぶらひめのみこと)


岡垣町役場より南西約1.5kmに鎮座しています。

『日本書紀』によると、仲哀天皇8年(199年)1月4日、天皇が熊襲征伐の折に筑紫【九州】においでになる時、岡縣主(をかのあがたぬし)の祖にあたる熊鰐(くまわに)が、周芳沙麼之浦(すはのさばのうら)【現:山口県】に出迎えにあがり海路を案内され「山鹿岬」を経由して崗浦(をかのうら)【現:遠賀郡芦屋町の遠賀川の河口沖】に入ると、船が進まなくなったため「崗浦」の神、大倉主命(おほくらぬしのみこと)菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)に祈り、倭國菟田(やまとのくにのうだ)出身の船頭の伊賀彦(いがひこ)に祀らせると、船は再び進み始めたと伝えられています。

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2013年03月18日

【熱田神社】(福岡県鞍手郡鞍手町)

福岡県鞍手郡鞍手町大字新北に鎮座する【熱田神社】(あつたじんじゃ)

熱田神社.JPG

≪御祭神≫
 ・天照大神(あまてらすおほかみ)
 ・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
 ・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
 ・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
 ・日本武尊(やまとたけるのみこと)
 ・宮簀媛尊(みやずひめのみこと)
 ・鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
 ・素盞鳴尊(すさのをのみこと)


御由緒によると、景行天皇27年(97年/皇紀757年)冬、日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)を討ちに行かれる時、新北の亀甲の名に心を打たれ、ここで口をすすぎ榊葉を取って大麻(おほぬさ)とし天神地祇(てんじんちぎ)を祀られました。その帰途立ち寄ってみると、村人が拝殿を造り祀っていたといいます。
その後の文治元年(1185年)新たに神殿を構え、尾張国熱田大明神【愛知県名古屋市の熱田神宮】を勧請し、元弘元年(1331年)今の社地に遷座されました。

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2012年12月17日

【皇産霊神社】(福岡県北九州市門司区)

福岡県北九州市門司区白野江に鎮座する【皇産霊神社】(みむすびじんじゃ)

皇産霊神社・鳥居.jpg

≪主祭神≫
 ・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)【皇親神魯伎命(すめむつかむろぎのみこと)/高木神】
 ・神産巣日神(かむみむすひのかみ)【皇親神留美命(すめむつかむろみのみこと)
≪相殿≫
 ・天照大神(あまてらすおほみかみ)
 ・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
 ・伊邪那美神(いざなみのかみ)
 ・天八意思兼神(あめのおもひかねのかみ)
 ・天児屋根神(あめのこやねのかみ)

九州の最突端の西、白野江の青浜海岸の近くに鎮座しています。


皇産霊神社は、古事記・日本書紀・古語拾遺など日本の古典に伝える天地造化の大神、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かむみむすひのかみ)の二柱を主祭神として「皇産霊大神」と尊称して奉祀しています。

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2012年12月07日

【和布刈神社】(福岡県北九州市門司区)

福岡県北九州市門司区門司に鎮座する【和布刈神社】(めかりじんじゃ)

鳥居.JPG

≪御祭神≫
 ・比賣大神(ひめおほかみ)
   ┗ 多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)
   ┗ 市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
   ┗ 多岐都比賣命(たきつひめのみこと)
 ・日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)
 ・鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
 ・豊玉比賣命(とよたまひめのみこと)
 ・安曇磯良命(あづみのいそらのみこと)


関門海峡に面する九州の最突端に鎮座しています。

社記によると、仲哀天皇9年(200年)神功皇后三韓より御凱旋のときに御創建され、皇后自ら神主となり齋き祀られたと伝わります。以来、西門鎮護の神として歴代の将軍、領主等により篤く崇敬されてきました。
江戸時代までは、「速戸社(はやとのみや)、また「隼人社」、「速門社」、「早鞆明神」とも呼ばれていたそうです。

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2012年12月03日

【風師神社】(福岡県北九州市門司区)

福岡県北九州市門司区風師に鎮座する【風師神社】(かざしじんじゃ)

参道 (4).JPG

≪御祭神≫
 ・志那都比古神(しなつひこのかみ)
 ・志那都比賣神(しなつひめのかみ)
 ・八重事代主命(やへことしろぬしのみこと)[大国主命の御子]


門司区の標高362.4mの風師山(かざしやま)の北西の麓の鎮座しています。

創建は不詳ですが、古くは山頂に鎮座し、挿頭(かざし/かんざし)に似ていることから山を挿頭山・風頭山というようになったとも伝わります。

御祭神の志那都比古神(しなつひこのかみ)、志那都比賣神(しなつひめのかみ)は、風の神です。
『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」には、天之御柱命 (あめのみはしらのみこと)国之御柱命 (くにのみはしらのみこと)として登場します。この御神名は、風が天から地へ吹き下し、地から天へ吹き上げる御働きの名です。

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2012年12月01日

【戸上神社】(福岡県北九州市門司区)

福岡県北九州市門司区大里戸ノ上に鎮座する【戸上神社】(とのえじんじゃ)

参道と社殿 (3).JPG

≪御祭神≫
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
 ・伊邪那美神(いざなみのかみ)
  他十七柱を合祀


戸上神社は、北九州市門司区の標高521mの戸上山(とのへやま/とのえさん)の麓にある神社で、山頂には「上宮」が鎮座しています。

宇多天皇(うだてんのう)の御代、寛平年間(889年〜896年)に、豐前國企救郡柳ヶ浦(ぶぜんのくにきくのこほりやなぎがうら)【現:門司区大里付近の海】の漁師の網に光輝く玉がかかり、漁師はそれを引き上げて根二の濱の松の根元に置いておきました。それからしばらくして、馬寄村の伊古野大学の夢に「根二の浜に迎えに来るように。」と神のお告げがあり、その玉をしばらく邸内の「鳥居の宮」にお祀りしました。
その後、馬寄村の一坂の前立山に社を建て鎮座していましたが、また夢の中で「我は柳ヶ浦の氏神なり。我を鶏の声の届かぬ高き所に祀れ。」と神のお告げがあったので、峰刑部を祭主として枝折戸(しおりど)【枝や竹を折り組んで作った開き戸】に載せて山上に三柱の大神が祀られました。
以来、山を「戸上」号し、戸上権現と称され崇敬されてきました。
後に山上を上宮として、山麓を本宮とし、柳ヶ浦七ヶ村【現:大里地区】の氏神として、「戸上神社」と改められました。

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2012年11月28日

【浮津島神社】(福岡県北九州市小倉南区)

福岡県北九州市小倉南区中曽根に鎮座する【浮津島神社】(うきつしまじんじゃ)

社殿 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・経津主神(ふつぬしのかみ)
 ・須佐之男命(すさのをのみこと)
 ・武甕槌神(たけみかづちのかみ)
 ・彌都波能賣神(みつはのめのかみ)


JR下曽根駅(日豊本線)から線路に沿って約500m南東の所にある『荒神森古墳』(こうじんのもりこふん)の上に鎮座しています。

御由緒によると、創始は景行天皇13年(西暦83年)に勧請したと伝わり、彌都波能賣神は明治13年6月に合祀されたようです。

浮津島神社が鎮座する『荒神森古墳』は、曽根平野のほぼ中心部に位置しており、墳丘の形態や発見された埴輪片、須恵器などから6世紀頃に造られたと考えられているそうです。
また、昔は曽根平野は入り江で島が多く、荒神森古墳の西を走る日豊本線の付近まで海が広がっていたと伝わります。

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2012年11月24日

【宇原神社】(福岡県京都郡苅田町)

福岡県京都郡苅田町馬場に鎮座する【宇原神社】(うばるじんじゃ)

鳥居と参道.JPG

≪御祭神≫
 ・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)【鵜草葺不合命】
                ┗・・・ [彦火々出見尊と豊玉姫尊の御子]
 ・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)【天津日高日子穂穂手見命・山幸彦】
 ・豊玉姫尊 (とよたまひめのみこと)


社伝等によれば、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)が苅田に上陸したので、後世その荒魂を祀ったのが「宇原神社」の始まりと伝えられ、その先駆の神(父母神)である彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫尊 (とよたまひめのみこと)を左右御前の神と称して斎き奉ると伝わります。
その後の寛治4年(1090年)に現社地に遷座されたそうです。


この宇原神社は、JR苅田駅(日豊本線)から南西約700mのところに鎮座していて、254号線と64号線が交差する信号の西側の角に鳥居が立っていてます。

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2012年11月23日

【正八幡宮】(福岡県行橋市)

福岡県行橋市神田町に鎮座する【正八幡宮】(しょうはちまんぐう)

社殿 (3).JPG
≪御祭神≫
  ・應神天皇(おうじんてんのう) 【八幡大神】
  ・神功皇后(じんぐうこうごう)
  ・比賣大神(ひめおほかみ)
   ┗ 多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)
   ┗ 市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
   ┗ 多岐都比賣命(たきつひめのみこと)

JR行橋駅(日豊本線)の南南西約400mのところに鎮座しています。

御由緒によると、貞観2年(860年)、国司の一人であった従五位上行豊前守文屋真人益善が「宇佐宮」の託宣に依り神社を建立し、奉載されたのが「正八幡宮」の起源だと伝わります。
以来、人々の崇敬は篤く、中でも正平22年(1367年)、菊地武重朝臣は苅田浦滞陣の際に自ら参拝され、戦勝を祈願し満願成就されました。また応安7年(1374年)3月、征西大将軍が小倉に滞陣中、御参代として名和伯耆守長秋が遣わされ、御神前に純金銘入りの御神刀を奉納して戦勝を祈願されており、その御神刀は現在も神納されているそうです。
慶長6年(1601年)には、藩主細川忠興は領内安堵の為に参拝祈願され、旧大橋の神田に社領地を寄進。次いで元和2年(1616年)に祈願成就の報賽として御神鏡を一面奉納されたといいます。

そして寛永元年(1624年)の春、社殿を神田の地に移設して鎮座され、その後、益々近郷近在の氏神様として御神徳を広めていったといいます。

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2012年11月04日

【八幡古表神社】(福岡県築上郡吉富町)

福岡県築上郡吉富町に鎮座する【八幡古表神社】(はちまんこひょうじんじゃ)

社殿.JPG


JR吉富駅から北北東約500mの県道221号線沿いにあり、ちょうど道がカーブする左手側に鎮座しています。

古くは吹出濱神社(ふきいではまじんじゃ)とも称され、この付近一帯は吹出の高濱(ふきいでのたかはま)と呼ばれていたそうです。

『古表宮縁起書』によると。。。
昔、中津川(山国川)の辺に玉手翁(たまてのおきな)という者が住んでいて、神にも等しいほど美しい心を持った人格者でした。
 欽明天皇6年(545年)のある日、玉手翁が吹出の高濱(ふきいでのたかはま)を散歩していたところ、美しい白雲が西の方より飛来して、明月(名月)のように光り輝く女神が乗っていました。翁はすぐに神である事を察し、畏(おそ)れ拝むと、次のような神託がありました。
「吾は息長帯姫(おきながたらしひめ)なり。昔、三韓征伐のおり軍卒集まり難しにより諸国を歴視し、此の所に来りて海辺の石(後、皇后石と呼ぶ)の上にて諸国の神々を祭祀(まつ)る。よりて、軍卒多く集まり船をも調達、険浪を渡り三韓を伐つ。しかるに後世これを知る者なし。今よりこの良き地に住みて永遠に国家国民を守護せむとす。汝(いまし)此の所に社(やしろ)を建て吾を祭れ。」
翁は平伏して再拝し、さっそく社殿を造営すべき土地を探し、吹出の高濱の最も荘厳な処を選び、欽明天皇6年(545年)9月21日、田川の銅鏡を御神体として祠を建て、息長大神宮(おきながだいじんぐう)と称してお祀りしました。そして同じく住吉宮が建てられ住吉大神も鎮座されました。
さらに、天平16年(744年)8月15日、海辺の石にお祀りされていた諸国の神々(傀儡子の神々)を祀る東脇殿の四十柱宮(よそはしらぐう)が建てられ鎮座されたと伝わります。

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2012年08月04日

【山王日吉神社】(福岡県福岡市博多区)

福岡県福岡市博多区山王に鎮座する【山王日吉神社】(さんのうひよしじんじゃ)

日吉神社 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・大山咋神(おほやまくひのかみ)
 ・大己貴神(おほなむちのかみ)
 ・大物主神(おほものぬしのかみ)

博多駅から南東約1.1kmの所にある福岡市立「山王公園」の敷地の中に鎮座しています。

創始は不詳ですが、滋賀県の比叡山(日枝山)に鎮座する日吉大社(ひよしたいしゃ)より勧請されたと伝わります。
「山王様」とも称され、開運、醸造、方位除け、安産の神として、また疱瘡の神としても崇敬をあつめているそうです。


『筑前国続風土記 -巻之六目録- 那珂郡 下』には、「山王権現社」としてこのように記述されています。
〜比叡村にあり。比叡山の山王を勧請せし故に、村の名も比叡と名づく。社は村の南に松林の高き岡に有。此村に六甲畠とて、三町許の瓜圃あり。瓜を植ふるによろしと云、又此村にむかしより鬼火有て夜見ゆ。此村より出て四方一里餘飛廻る。四時時々見ゆ。遠く見れば、其大さ續松の火の如し、近村ば、らうそくの火のごとし、其色青白なり。或は二となり三となり、ならびとぶ。いと近くよりてみれば水精の如くにして、火にはあらず。〜

この附近一帯は昔比叡村と呼ばれていましたが、現在は山王町の北西〜北に「比恵町」「東比恵町」として、その名が残っています。


≪境内社≫
 稲荷神社(山王稲荷神社)
  ・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおほかみ)


山王日吉神社】:福岡県福岡市博多区山王1丁目9−3⇒[ Googleマップ ]

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2012年07月30日

【住吉神社】(福岡県福岡市博多区)

福岡県福岡市博多区住吉に鎮座する筑前国一之宮【住吉神社】(すみよしじんじゃ)

住吉神社・神門より.jpg

≪御祭神≫
 ・底筒男神(そこつつのをのかみ)
 ・中筒男神(なかつつのをのかみ)
 ・表筒男神(うはつつのをのかみ)
≪相殿≫
 ・天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)
 ・神功皇后(じんぐうこうごう)【息長帯比賣命】

この住吉神社は、JR博多駅から南西約600mの所に鎮座しています。

創建年代は不詳ですが、日本全国に約二千社ある住吉神社の中でも、最初の神社であるとされ、ある古書には「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されているといいます。
大阪の住吉神社の総本宮『住吉大社』、下関の住吉荒魂を祭る『住吉神社』とともに日本三大住吉といわれいます。

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2012年07月23日

【沖津宮】(福岡県福岡市東区志賀島)

福岡県福岡市東区の志賀島の南西に浮かぶ沖津島に鎮座する【沖津宮】(おきつぐう)

沖津島.JPG

≪御祭神≫
 ・表綿津見神(うはつわたつみのかみ)
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

沖津宮は、志賀海神社から志賀島を時計まわりに金印公園、蒙古軍供養塔と過ぎて、勝馬の休暇村志賀島の先に勝馬小学校に入る道があるので左折して海のほうへ向かって行くと見えてきます。

創建はわかりませんが、古来、志賀島の北西のこの勝馬の地に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」の三社で奉斎されていましたが、およそ1800年前、神功皇后の三韓出兵に際し舟師を率い御舟を導いた阿曇磯良丸(あづみいそらまる)により、「表津宮」(底津綿津見神)が志賀島の南東の勝山の麓に遷座されたことから、現在の「志賀海神社」が興ったと伝えられています。

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2012年07月21日

【志賀海神社】(福岡県福岡市東区)

博多湾の北、海の中道(砂州)と陸続きで繋がった「志賀島」(しかのしま)
神功皇后の三韓征伐の際に立ち寄ったとされ、島が打昇浜(うちあげのはま)【海ノ中道】と連なりほとんど同じ所といってよいということから、「近島」とよんだものがなまって「資珂島」となったと伝えられています。
その志賀島の入口、勝山の麓に鎮座するのが、全国の綿津見神社、海神社の総本宮(海神の総本社)と称される【志賀海神社】(しかうみじんじゃ)です。

志賀海神社 2.JPG

≪御祭神≫
 [左殿]・仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
  ┗(相殿)・神功皇后(じんぐうこうごう)
 [中殿]・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
  ┗(相殿)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 [右殿]・表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)【上津綿津見神】
  ┗(相殿)・應神天皇(おうじんてんのう)


創建は不詳ですが、古くは島の北の勝馬の地に表津宮・仲津宮・沖津宮の三社で奉斎されており、およそ1800年前、神功皇后の三韓出兵に際し舟師を率い御舟を導いた阿曇磯良丸(あづみいそらまる)をして、表津宮(底津綿津見神)をこの勝山の麓に遷座し、併せて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。

古来より「龍の都」と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(みそぎはらひ)をされた際に、住吉三神(住吉大神)と共に御出現された綿津見三神をお祀りしています。

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2012年07月09日

【埴生神社】(福岡県中間市)

福岡県中間市垣生に鎮座する【埴生神社】(はぶじんじゃ)

埴生神社.JPG

≪御祭神≫
 ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
 ・神功皇后(じんぐうこうごう)
 ・應神天皇(おうじんてんのう)
 ・住吉大神(すみよしおほかみ)【墨江大神(すみのゑおほかみ)】[船魂神]
  ┗ 表筒男命(うはつつのをのかみ)
  ┗ 中筒男命(なかつつのをのかみ)
  ┗ 底筒男命(そこつつのをのかみ)  
≪相殿≫
 ・天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)
 ・十五社神社 [昭和27年10月合祀]


昔、仲哀天皇が、神功皇后と御船でこの埴生の地にお着きになられ、熊襲征伐の行宮(かりみや/あんぐう)の旧跡にて航海の安全を祈願し、『船魂の神』を祀ったとされます。
社説に「当社は埴生郷の大社なり。埴生郷は西北数ヶ村を包合せる大村である。」、また源順の『古書和名類聚抄』に「岡の六郷の第一なり」と記されているそうです。
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