2010年04月01日

壱岐の帰途より

2009年12月9日
何んとか、レンタカーの返却もギリギリ間に合い、3時過ぎのフェリーに乗り込みことができました
(^^)

壱岐に行く前日までは、1日目で9つの社と6つの柱(はらほげ地蔵)をすべて廻り、2日目は観光で辰ノ島でクルージングしたり、猿岩も見てみたかったり・・・なんて思いを馳せていたのに(笑)
結局一日目の時間調整のズレでゆっくりと遊ぶ暇もなく、気づいたらもう帰りのフェリーの中(^^;)

なんというかあっという間というか(笑)

しかも、壱岐島自体を写した写真が全くないことにも気づきました(^^;)

めちゃ寒いのにフェリーの中では甲板にでて空の写真ばかり撮ってたし(笑)
・・・ってことで、せっかくなので載せちゃいますかわいい

日足(天使の階段)が伸びて本当に綺麗でしたぴかぴか(新しい)
hiashi.JPG


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2010年03月31日

「はらほげ地蔵」(壱岐島)

箱崎八幡神社より、最後に向ったのは、芦辺町八幡浦(やはたうら)。

八幡浦は、壱岐東部の八幡半島にあり、古くから海女で有名な所だそうです。

箱崎八幡神社から、県道23号線を南東に進み、八幡半島に向けて車を走らせていると、厚い雲に覆われていた空からだんだんと青空が覗きはじめましたぴかぴか(新しい)

所々にある案内板にしたがって進んで行くと、見えてきました、最後の目的地
海中に祀られている6体の【はらほげ地蔵

はらほげ地蔵.JPG

干潮であればこんな風に近くまでいけますが、満潮になれば頭上までかくれてしまうそうです。
なぜ「はらほげ地蔵」と呼ばれているのか・・・それは、胸のところにまるい穴が開いているからだそうです。
また、六地蔵は六道※(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵であるともいいます。

この6体の地蔵は何時だれが、何のために祀ったかはっきりしたことはわかりませんが、遭難した海女の冥福のため、また捕獲した鯨の慰霊のため、あるいは疫病退散祈願のためとも伝えられているそうです。
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2010年03月28日

【箱崎八幡神社】(壱岐島)

さて、9つに社の最後に向ったのは、芦辺町箱崎釘ノ尾触に鎮座する【箱崎八幡神社】
箱崎八幡宮.JPG

旧号:海裏宮、海裏八幡宮、八幡大神海宮、磯山権現

≪御祭神≫
 ・豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)
 ・玉依姫命(たまよりひめのみこと) 
 ・中津姫命(なかつひめのみこと)
 ・品陀和気命(ほむだわけのみこと)【応神天皇】
 ・帯仲日子命(たらしなかつひこのみこと)【仲哀天皇】
 ・息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】
 ・天比登都柱命(あめひとつはしらのかみ)【天一柱神】[壱岐嶋の國魂] 
 ・天月神命(あめのつきのみたまのみこと) 
 ・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)【高御産巣日神】
 
箱崎八幡神社は、月読神社から北北東に約6km進んだ箱崎小学校の近く、県道23号沿いにあります。(箱崎小学校から南西200m)

社伝によると、延暦6年(787年)に箱崎村の男岳(おんたけ)山に鎮座したことに始まります。
男岳(男嶽)山は、別名で磯山とも魚釣山とも呼ばれ、古来は山全体が御神体であり人が入ることを許さぬ禁足地でした。
その男岳山に祀られていた「海裏宮(あまうらぐう)」は、その後山を下り、上里の東屋敷に、次に下里の辻、さらに新庄村の宮地山に遷座するなど、たびたび社地を移転して、現在地の箱崎村根柢(もとのかぶ)山に鎮座したのは元禄13年(1700年)の江戸時代だといいます。
(その男岳山の山頂には現在、猿田彦大神を祀る「男岳神社」があり、山頂まで車で登ることもできるそうです。。。)
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2010年03月25日

【月讀神社】(壱岐島)

天手長男神社」より次に向かったのが、前日に暗くなるなか自転車で向かおうとしていた
壱岐市芦辺町国分東触にある【月讀神社(つきよみじんじゃ)】
月讀神社 (2).JPG

壱岐の月讀神社は、日本全国の月読神社の元宮といわれているそうなので、一度は来てみたかった神社です(^^)

創建年代については不詳ですが、顕宗天皇3年(487年)阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那(みまな)に遣わされる際に、壱岐で月読命がよりついて(神がかりして)「土地を月の神に奉献せよ、そうすれば良いことがあろう」という神託をしたので、これを朝廷に奏上し、これを受けた朝廷は壱岐県主の押見宿禰(おしみのすくね)に命じて、壱岐の月読神社から分霊を京都に祀らせた・・・とあるので、それ以前からあったということになります。

元宮と云われている式内社「月讀神社」の場所について、色々な学説が飛び回り実際のところ、この地なのか別の地なのかはっきりといえませんが、今はこの地に月讀神社があり、月讀命さまがいらっしゃることには間違いありませんのでお参りぴかぴか(新しい)(^人^)

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2010年03月19日

せっかくなので・・・【熊野神社】(壱岐島)

辿りつけなかった「熊野神社」。。。
残念だけど、ちょっとだけ調べたので載せちゃいます(^^)

熊野神社
[鎮座地]長崎県壱岐市勝本町立石南触584⇒[ 地図 ]

≪御祭神≫
 ・伊弉册尊(いざなみのみこと)
 ・素盞嗚尊(すさのをのみこと)
 ・事解男神(ことさかをのみこと)
 ・速玉男神(はやたまをのみこと)
≪相 殿≫
 ・天照大神(あまてらすおほかみ)
 ・国常立尊(くにのとこたちのみこと)
 ・正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
 ・天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと )
 ・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
 ・軻遇突知命(かぐつちのみこと) 【火の神】
 ・埴山姫命(はにやまひめのみこと) 【土の神】
 ・罔象女神(みつはのめのかみ) 【水の神】
 ・稚産霊神(わくむすびのかみ) 【五穀・養蚕の神】
 ・大山祇神(おおやまつみのかみ) 【山の神】

≪例祭日≫
10月29日 神幸祭、大神楽奉奏

『壱岐風土記』に伝えるところによると、当熊野神社は紀伊熊野大神と同じであり、往昔、本宮和泉守橘貞兼が熊野より迎へ奉りて勧請したとあります。立石村の産土神になります。

延宝4年(1676年)国主の命を奉じて壱岐国式内社の査定を行った橘三喜は、この熊野神社、神主、立石刑部橘廣貞の次男で、平戸に住み神道国学者として有名になりました。境内には立花社があり、橘廣貞の近親六柱の霊璽を祀っているそうです。

ラベル:壱岐 神社 長崎県
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2010年03月18日

【天手長男神社】(壱岐島)

場所がわからなかった「熊野神社」(勝本町立石南触)から変更になったのは、
郷ノ浦町田中触に鎮座する天手長男神社(あまのたながをじんじゃ)】
天手長男神社 社殿.JPG

≪御祭神≫
 ・正哉吾勝勝速日天忍穗耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)【天忍穂耳尊】
 ・天手力男命(あめのたぢからをのみこと)
 ・天鈿女命(あめのうずめのみこと)【天宇受女命】
≪合 祀≫
 ・仁徳天皇(にんとくてんのう)
 ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
 ・日本武尊(やまとたけるのみこと)
 ・比賣大神(ひめおほかみ)

≪合 祀≫昭和40年(1965)5月合祀
 【天手長男神社
 【天手長比賣神社
  ・栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)稚日女命(わかひめのみこと)
  ・木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
  ・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 【物部布都神社】・布都主命(ふつぬしのみこと)
 【若宮神社】・仁徳天皇
 【宝満神社】・玉依姫命
≪奉 祀≫
 【粟島神社】・少名毘古那神(すくなひこなのかみ)

壱岐国の宗廟・一ノ宮とされ崇敬を受けていた『天手長男神社』は、中世におこった「元寇」により、跡かたもなく、所在も不明となりました。

平戸藩の国学者・橘三喜は、延宝3年(1675年)から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻として書き残しています。
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2010年03月12日

【聖母宮】(壱岐島)

さて、爾自神社より向ったのは、北東約2Kmの位置にある勝本町立石南触の『熊野神社

しかし、この神社もパンフレットに載っていたものの、大まかな位置しかわからず、携帯ナビ片手に勝本町立石南触あたりをグルグルと周ってみましたが全然分らず。。。(T−T)たらーっ(汗)

とりあえず時間がないし、後回しにしようということで、先に壱岐島の北側、勝本町勝本浦にある【聖母宮】に向うことに車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)あせあせ(飛び散る汗)

国道382号線にのり、壱岐島の北にある勝本港に向います。
港に着くと所々に案内板があるので、それにしたがって進んで行くと辿りつきました(^^)

勝本町勝本浦に鎮座する聖母宮(しょうもぐう)】
聖母宮 社殿.JPG
旧称:香椎宮・香椎聖母宮・聖母大明神・聖母大菩薩・聖母神社

≪御祭神≫
 ・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) 【神功皇后】
 ・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)  【仲哀天皇】
 ・誉田別尊(ほむだわけのみこと) 【応神天皇】
 ・上筒男尊仲筒男尊底筒男尊 【住吉大神】
≪配 神≫
 ・天照大神(あまてらすおほかみ)
 ・玉垂神(たまたれのかみ) 【高良玉垂神】
 ・烏賊津連(いかつのむらじ) 【伊香津臣命】
 ・真根子連 (まねこのむらじ) 【壱岐眞根子臣】

聖母宮-.JPG仲哀天皇9年(200年)10月、神功皇后が三韓征伐の折、壱岐に着いて順風待ちをされていた時、北へ向かうのに良い風が吹いた事から、この地を「風本(かざもと)」と名付けられ三韓へ出兵されました。
その後、三韓からの帰りに再び立ち寄られ、出兵の勝利を祝い「風本」を「勝本(かつもと)」と改めたといいます。
皇后は、出兵の往来にさいし行宮(かりみや)をこの地に建てられましたが、その後放置されていました。
しかし、毎夜海中より光る物があがってくるという出来事が続いたので、里人は鏡を行宮に納めて、神功皇后をお奉りしたといいます。
養老元年(717年)には国家鎮護を祈願し、社殿が建立されました。

また、一説には異敵の首101,500を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとも。。。
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2010年03月04日

【爾自神社】(壱岐島)

次に向かったのは、郷ノ浦町長峰有安触にある爾自神社(にじじんじゃ)

爾自神社.JPG
古号「東風大明神」
≪御祭神≫
 ・級長津彦神(しなつひこのかみ)【志那都比古神】
 ・級長戸辺神(しなとべのみこと) 
 ・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと) 【神功皇后】

級長津彦神、級長戸辺神は、伊耶那岐神・伊耶那美神の神生みで生まれた風の神ですぴかぴか(新しい)

社殿の右裏には、『東風石(こちいし)』という高さ2.7m、縦3.9m、横3.4mの大きな石があります。
神功皇后が三韓出兵の折り、壱岐の勝本浦に寄航しましたが順風が吹かないため出航ができませんでした。そこで、この東風石の神に祈願をすると、石は二つに割れて、さわやかな東風が吹き出し、出船できたといいます。

その故事から、江戸時代李氏朝鮮からの使者が朝鮮に無事に渡ることができるよう祈られていたとのこと。
  
神額

爾自神社 神額.JPG


この「爾自神社」は、パンフレットに載っていたので、だいたい大まかには場所はわかりましたが、詳しい地図ではないので、またまた近くで迷ってしまいました(T_T)
・・・が、偶然看板を発見することができ、辿りつくことができました(:人;)
細い道を上がっていくので、行かれる方は気をつけて下さいね(^^)


今回借りたレンタカー車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)
爾自神社とレンタルカー.JPG
乗りなれた車じゃないので少し苦労しましたが、とても助かりましたm(^^)m
ありがとうございますぴかぴか(新しい)お世話になりました(^人^)


さて続いては勝本町立石南触にある「熊野神社」へ。。。行く予定でしたが・・・(T_T)
・・・「聖母宮」につづく

【爾自神社(にじじんじゃ):長崎県壱岐市郷ノ浦町長峰有安触997⇒[ 地図 ]

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2010年03月02日

辿りつけなかった【和多津美神社】とお世話になった【國津神社】(壱岐島)

国津意加美神社から、次に向かったのは郷ノ浦町渡良浦にあるという【和多津美神社

「和多津美神社」に行くには、壱岐市役所から南西に400m下った「本町信号」を右にまがり県道175号線に入り、そのままぐるっと西側の郷ノ浦町渡良浦まで向かっていけば辿り着くはず・・・だと思っていました(;;)

しかし、壱岐の詳しい地図を持ってなかったため「和多津美神社」が郷ノ浦町渡良浦あたりにあるぐらいしかわからないまま、携帯ナビをみながら県道175号線を進み郷ノ浦町渡良浦までは辿りつきました(^^;)
そして道路に鳥居と燈籠が立っているのを発見ひらめき
確認するため、車をとめて神社に向かうとそこは「和多津美神社」ではなく【國津神社】でした。

「違うみたいですね〜・・・」と車に乗り、違う道をぐるっと南側に向かって進んでいると工事をしてる方々に遭遇!
和多津美神社の場所を尋ねてみると、「神社?う〜ん・・・そこに神社(国津神社)はあるみたいだけど・・・わからないですね〜・・・」と、少し考えながら答えてくれましたm(_ _)m

そうですよね、私も3、4年前は地元の神社なんてほとんど知らなかったし、初詣ぐらいしか行かなかったし、そんななか自然の有難さ素晴らしさを感じ、日本の歴史を学ぼうと思い、たくさんの神さまの存在を知り、こんな風に神社巡りをさせていただいてから、少しはわかるようになったんだし・・・(^^;)
しかも壱岐には大小あわせて1500もの神社があるそうなので、神社に詳しい方やその神社を守る村の方じゃないとあまり知らないですよね(^^;)

「ありがとうございます」
とお礼を伝え、そのままぐるっと進んでいくと港に着きました。

「海の神さまだからこの近くにありそうですけどね・・・」
・・・と、辺りをよく見てみると、家々の間に神社を発見ひらめき

しかし、そこも違いました(:_;)(泣)

そしてまたぐるっと進んでいくと「國津神社」のところまで戻ってきてしまいました。。。たらーっ(汗)

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2010年03月01日

【国津意加美神社】(壱岐島)

壱岐島2日目。

この日は前日とうって変って朝から小雨が降っていました。

残り7つの社と6つの柱を、15:30過ぎのフェリー出航まで必ず廻らなくてはいけません。

自転車だと・・・無理なのは前日確認ずみ(^^;)(笑)

4時間で4000円とちょと高いけど、レンタカーで廻ることにしました車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)

まずは、壱岐マリーナホテルから北東600mに場所にある【国津意加美神社】ダッシュ(走り出すさま)

国津意加美神社は、壱岐市役所から道路を挟んで左斜め前(北東100m)に鎮座しています。

国津意加美神社(くにつおかみじんじゃ)

国津意加美神社A.JPG

旧称は【妙見宮】
由緒によると・・・
『「社記」によれば、神代に素盞嗚尊韓国を巡り給ひて御帰朝の際我が壱岐国郷ノ浦江上に着岸ましまして後茲に宮殿を建つ是より村浦の宗廟と崇敬し奉りて妙見宮と申す』とあります。

延宝4年(1676)、国内延喜式登録の神社調査により「国津意加美神社」と定められたそうです。

拝殿
国津意加美神社@.JPG
≪御祭神≫
 ・素盞鳴尊(すさのをのみこと) 【須佐之男命】
≪配神≫
 ・大己貴命(おほなむちのみこと) 【大国主命(おおくにむしのみこと)】
 ・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと) 【櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)
 ・闇袁加美神(くらおかみのかみ) 【闇淤加美神(くらおかみのかみ)
≪御由緒≫
当社は旧武生水郷(現・郷ノ浦町)の惣廟である。
『延喜式神名帳』には「壱岐島石田郡國津意加美神社」と記録されており「社記」によれば、神代に素盞嗚尊韓国を巡り給ひて御帰朝の際我が壱岐国郷ノ浦江上に着岸ましまして後茲に宮殿を建つ是より村浦の宗廟と崇敬し奉りて妙見宮と申すとある。
当社は古来御願元と称し旧藩主格別の崇敬神社にして国中諸社の首班に置き、定祭には幣使式日には代拝として亀丘城々代を参向せしめ。又松浦藩主壱岐を巡見するに当りては親しく参向し、恭しく礼幣を奉奠せらる故に当社を直参の社とは申すなり。昔神田神領等存し社殿の造営概ね国守の直営に係り、奉仕の祠官跡特殊の格式及職権を附与せられ、以て維新の際に及べり。仍而神社の設備完備し、国内屈指の社頭となりしは寔に所以ありと謂ふべし従って当時祭祀の荘厳盛大の状に至りては、国中類例を見ざる所なり。「壱岐国神社誌」
延宝4年(1676)6月 国内延喜式登録の神社調査により式内小社國津意加美神社に査定され藩主松浦鎮信は木鏡御正体と石領とを献納した。
明治9年12月4日村社に列せられ 大正14年3月10日 神饌幣帛料供進神社に指定された。

≪境内社≫
 ・八幡神社
 ・金比羅神社
 ・稲荷神社
 ・青島神社
◎左境内社
左境内社.JPG

◎右境内社
右境内社.JPG


国津意加美神社.JPG


さて、続いては「和多津美神社」へ行く予定だったんですが・・・(泣)

【国津意加美神社(くにつおかみじんじゃ):長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触133⇒[ 地図 ]

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2010年02月25日

【塞神社】(壱岐島)

壱岐マリーナホテルから川沿いを東北に200mぐらい進み、郷之浦郵便局前の橋を渡り終えると、目の前に神社を発見しましたぴかぴか(新しい)

こんな飲食街の中に立派な神社があるんですね〜といいながら近づいてみると、今回行く9つの社の一つ【塞神社】でした!

こんな近くに・・・と鳥居をくぐってビックリ(゜゜;)exclamation&question

・・・なんでこんなものがたらーっ(汗)

まず左奥に○○シンボルがドーン!・・・(゜゜;)たらーっ(汗)(笑)

またまた拝殿にも・・・ドーンドーンドーン・・・たらーっ(汗) 

ほかにも・・・

え〜これ以上口にするには勇気がいりますので・・・行く機会があれば確かめてみてください
(^W^)

【塞神社】
≪御祭神≫
 ・猿女君(さるめのきみ)【天宇受女命・天鈿女命(あめのうずめのみこと)
 ・猿田毘古神(さるたひこのかみ)【猿田彦大神(さるたひこおほかみ)

『猿女君』について、友人から教えていただきました↓↓↓(^人^)
古事記ペン
(邇々藝命が)天宇受女命に詔(の)らししく、「この御前(みさき)に立ち仕へまつりし猿田毘古大神は、もはら顯(あら)はし申(まを)せるなれ送りまつれ。また、その神の御名は、なれ負(お)ひ仕へまつれ」これをもちて、猿女君ら、その猿田毘古之男神(さるたびこのをのかみ)の名を負ひて、女(をみな)を猿女君と呼ぶことこれぞ。』とあり、邇々藝命(ににぎのみこと)の詔勅により、猿田毘古大神の御名の『猿』を天宇受女神が貰い受けたからだそうです。
≪御由緒より≫
神代の昔 天の岩屋戸の裸踊りで知られる女神天宇受女命は、後に異形の男神猿田毘古神(猿田彦神)と結ばれ、猿女君として以来一対の神となった。
元来猿田彦大神が庚申神となり防塞(疫神の防障道路主護)の神として信仰されたが、この地の神はいつ頃より祀られたか定かではない。
はっきりしているのは現在の田河深江字下ルに奉られていた塞神を天保年間この地下ル町に奉遷宮して町の氏神としたことである。
本殿には女石が祀られているがこれは女神猿女命をあらわし昔から本町元居浦の八坂神社の男神は毎年祇園祭典に必らず来興し神楽も奉納される。
女神であることから良縁、安産、夫婦和合、性の病、子供の守護に霊験あらたかといわれているが本来道の神であるため交通安全を祈る人も多く、明治初期までは壱岐の島に上陸した男達は男根を女神に見せないと怪我をするといってこの塞神に一物の御照覧を願ったもので。近年は島以外の人の間でもともに知られ何を祈るか丑満時に女性の詣りが多い。

ということで、猿女君にご挨拶(^人^)

良縁、安産、夫婦和合、性の病、子供の守護、道の守護に霊験あらたかだそうですかわいい





このあとはすぐ近くのお好み焼き屋さんで一杯ビール(^^*)

お疲れ様ビール
やっぱり頑張ったあとのビールは格別です(笑)

【塞神社(さいじんじゃ)】:長崎県壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦⇒[ 地図 ]

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壱岐マリーナホテル(壱岐島)

さて、住吉神社参拝前に、地元の方に声をかけられていました。
宿泊先を聞かれ、「郷ノ浦です」と答えると、「帰りは下り坂だから楽ですよ〜(^^)」と教えていただきました。

実際上り坂は少々あったものの下り坂が多く、思ってたより早く帰れましたmm(^▽^;)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

しかし、自分が車に乗ってて、自転車が横から飛び出してくるのを見て危ないなぁ(−"−;)・・・っていつも思ってるのに、今回自分が坂道をハイスピードで下りながら止まらなかったのに気づくと、自分も同じことしてんじゃん(−"−;)たらーっ(汗)って反省・・・たらーっ(汗)

このときは、疲れきっててそこまで頭が回らなかったんですけどね(^^;)(言い訳)
本当事故らなくてよかったたらーっ(汗)

さて、この日の宿泊先は、郷ノ浦港の近くの、『壱岐マリーナホテルかわいい
とっても感じがよく、部屋も掃除が行届いていてとても綺麗でしたぴかぴか(新しい)

どこのホテルに泊まってもそうなんですが、私は部屋に入るとまず最初にすることがあります。
それは、部屋のあちこちに触れながら「今日一日宜しくお願いします」と挨拶をすること。
そして、持ってきた荷物を辺りに散らばし、部屋の浄化にいいセレナイトワンドとパワーストーンたちを枕もとに置いて自分が安心する空間をつくること(^^)(笑)
枕をかえたら寝れないたちなので、こうすると少し安心して寝ることができるんです(^^)
これでも安心して寝れない場所はありますが、ここはいつも以上にゆっくり寝ることが出来ましたるんるん
ありがとうございます(^人^)

さて、話を戻しまして、荷物を置いた後は、ホテル近くの飲食街に向うことにダッシュ(走り出すさま)

壱岐マリーナホテル
長崎県壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦205-1
Tel.0920-47-0603
ホームページ⇒http://www.nakahara-iki.co.jp/marina/

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2010年02月24日

【住吉神社】(壱岐島)

さて、登り坂は自転車を押して歩きmm(><;)あせあせ(飛び散る汗)

下り坂は自転車に乗りmm(^^;)ー(長音記号2)ダッシュ(走り出すさま)

・・・を繰り返すこと約・・・たらーっ(汗)どのくらいたったでしょう・・・右脇にようやく鳥居が見えてきました!

「やっと着きましたよ〜神様あせあせ(飛び散る汗)」と鳥居をくぐるとそこにはお社はなく階段があるだけ・・・、あれ?どこにあるんだろう・・・と辺りを見回すと、階段下の道を挟んだ先にお社がありましたひらめき

ようやく辿りついた芦辺町の住吉神社
しかし、あたりはだいぶ薄暗くなっていたせいで、写真を撮ることができませんでした(T T)


壱岐島の住吉神社は、日本最初の住吉神社だそうです。
そんな歴史を感じさせる本殿の前には、近年建て変えられたような新しさが残る綺麗な拝殿がありました。
拝殿の中に入らせていただくと木のいい香りが漂い、静けさと相まって厳粛さがいっそう際立ち思わず背筋がピンっと伸びてしまいます。
「かなり遅くなってしまいました(>人<)」・・・と神様に御挨拶

≪御祭神≫
 住吉大神
  ┗底筒男神(そこつつのをのかみ)
  ┗中筒男神(なかつつのをのかみ)
  ┗表筒男神(うわつつのをのかみ)
≪御相殿≫
 八千戈神(やちほこのかみ)【大國主命(おおくにぬしのみこと)

住吉大神は、伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)が黄泉の国(死の世界)から帰って、筑紫の日向の橘の小戸の檍原で穢を洗い清めて、曲がった心【禍(まが)】を直され、さらに水中で身体を振って洗い清めた時に出現された神です。
神功皇后が三韓御親征の際に、御示顕になり
『吾 和魂(にぎみたま)は 玉身(みみ)に服いて寿命を守り、荒魂(あらみたま)は先鋒となりて 師船(みいくさのふね)を導かん』
との神託に依り船上に御鎮斎し、交戦することなく三韓を征しました。
神功皇后凱旋の際、郷ノ浦町御津浦に上陸し、足形を石面に残し、そこに住吉大神を奉られたのが始まりとされ、 後に神託があり『波の音の聞こえぬ地』をお選びになり現在地に遷座したといいます。
≪御由緒≫
住吉大神は、伊弉諾大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓い給いし時生れ出で坐せる海洋守護の御神徳顕著なる大神にして、神功皇后三韓を御親征の際、御示顕に相成り、皇后は御神託に依って、船上に御鎮斉あらせられしに、大神の和魂は玉体を守護し、荒魂は其の先鋒となりて舟師を導きて霊験を顕し給い、刃に血ぬらずして三韓を征し給う。
 又、八千戈神は又の御名を大国主神とも国造大巳貴神とも称奉りて、天の広戈を執りて国土を経営し天下を平定し給ひし武勇の神に坐せり仍て御凱旋の御砌舟師を御津の浜に駐め給い、鎮護の神として御親祭あらせられ、外敵国降伏の為、軍越神事を定め、臣安倍介麿に壱岐島を賜い大宮司として、その子々孫々をして、永く奉仕せしめ、異敵降伏国家安泰の神秘を行う軍越神事の秘法を伝えしめ給う。
 後御神託に依りて、今の社地に遷座し奉れる由緒伝に記されたり。
其の如く「住吉大神は海路船舶の往来を守護し給う大神にてあらせらるるを以て、世に舟魂の神とも称奉り、毎年9月1日海鎮祭と称する古式の特殊神事の存する所以なり。相殿に坐す八千戈神は、天神の勅を奉じて天下を巡周し給い、村邑を開き田畑を開墾し道路を改修し、医薬禁厭の法を定め、万民安居の基礎を立て、専ら国土を経営し給いし大神なり。是即ち毎年8月1日国鎮祭と称する古式の特殊神事の存する所以なり」
 当神社は神功皇后御帰陣の際、御親祭の由緒深き古社にして、即ち住吉神社の草分けとも申奉るべき、日本最初の住吉神社総本宮なり。次いで御鎮斉あらせられたる長門、摂津、筑前の住吉神社と共に、日本4住吉の1つにして、古来式内名神大社長崎県下筆頭の古社として知られたり。
 明治4年5月14日国幣中社に列せられ給う。かくて御鎮座以来現今に至る迄、海上安全国家安泰等々に御霊験の顕著なるものありて、島内は勿論全国よりの賽者年中絶ゆることなし爰を以て歴代の天皇は国家の大事ある毎に必ず勅使を差遣し給い或いは神階を奉り幣帛を捧げ給い或いは社格を定め給う等、敬祭の誠を曷し給いしに依り、弥々御神徳は赫々として宇内に光被し益々衆庶の尊信を聚め農耕開発を始め、殖産興業海外発展等々は大神の佑助に依るものと信念して疑はざるなり。
 因に大正7年北白川宮殿下御参拝、昭和11年梨本宮殿下参拝有り。戦後と雖も些かも変わる事無く、昭和24年5月、同44年10月、同49年10月の3回に亘り、天皇陛下より幣饌料を御奉献あり。
以上

9つの社の1つ「住吉神社」に参拝した後は、残り8つの社。
国津意加美神社」「塞神社」「和多津美神社」「爾自神社」「聖母宮」「月讀神社」「箱崎八幡宮」「熊野神社」へ向かいます。(しかし、「熊野神社」は場所がわかりづらいということ、途中で「天手長男神社」に変更)

壱岐には「壱岐九社」というものがあるそうですが、今回私たちが行くのは、ちょっとだけ違います。
因みに、壱岐九社と呼ばれている神社は
「住吉神社」「天手長男神社」「国津意加美神社」「興神社」「白沙八幡神社」「国片主神社」「箱崎八幡神社」「聖母宮」「本宮八幡神社」だそうです(^^)

さて、暗くなってる中、続いて向おうとしたのは、住吉神社から約2.6km東北にある「月讀神社」

ダッシュ(走り出すさま)・・・ちょっと進んで自分たちの無謀さに気づいた私達・・・たらーっ(汗)

車だったら向ってたはずですが、自転車ではどのくらいかかるかもわからない、着いた時には本当に真っ暗な中の参拝、しかも郷ノ浦の宿泊先まで帰ることも頭に入れたら・・・とんでもなく果てしない道のりに思えてこの日の参拝は諦めて郷ノ浦まで戻ることに・・・(^^;)

【住吉神社】[ 地図 ]
〒811-5742 長崎県壱岐市芦辺町住吉東触470
TEL:0920-45-3002

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2010年02月17日

壱岐島(長崎県)

九州北西の玄界灘に浮かぶ壱岐島(いきのしま)

壱岐島は、伊邪那岐命・伊邪那美命の国生みで、淡路島、四国、隠岐島、九州の次に生まれたとされる島です。

・・・(省略)・・・次生筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豐國謂豐日別。肥國謂建日向日豐久士比泥別。熊曾國謂建日別。次生伊岐嶋。亦名謂天比登都柱。・・・(省略)・・・(古事記)
次に筑紫嶋(九州)を生みたまひき。この島もまた身ひとつにして面四つあり。面毎に名あり。筑紫國を白日別(しらしわけ)と謂ふ。豐國を豐日別(とよひわけ)と謂ふ。肥國を建日向日豐久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と謂ふ。熊曾國(くまそのくに)を建日別(たけひわけ)と謂ふ。
次に伊伎嶋(いきのしま)を生みたまひき。亦(また)の名を天之比登都柱(あめのひとつばしら)と謂(い)う。


その壱岐島は、南北17km・東西14km、面積約138平方qの小さ島ですが、『魏志倭人伝』には「一大(支)国」として登場します。
壱岐は大陸と日本の二つの文化圏の接点として、華やかな文化を開花させ、遺新羅使・遣勃海使・遣随使・遣唐使などの使節団が寄港地として往来するなど大陸文化が運ばれた街道であり、日本と大陸を結ぶ架け橋として重要な役割を果たしてきました。

しかしその反面、国境の島としての宿命は避けることができなく、国防の最前線として、幾多の外敵の侵入をうけたという・・・とても悲しい歴史がありました(:;)

そんな壱岐島に来た目的は、9つの社と6つの柱。

「9つの社と6つの柱」とは夢にでてきたキーワード。

この夢により導かれ、友人に協力をしていただき最終目的としてくることになったのです。

佐賀県唐津東港よりフェリーで約1時間45分、壱岐島の印通寺港に到着した私と友人は、まず印通寺港のすぐ近くにある自転車のレンタル屋さんに向かいました。
壱岐島は、高低差が小さいということで、レンタルカーより安いレンタルサイクルで行動開始ですダッシュ(走り出すさま)

まず、最初に行かなければいけないのが9つの社の一つ壱岐島の中心に鎮座する【住吉神社

住吉神社までは、簡単に云えば印通寺港より国道382号線を西に約7km進み、「八畑」信号を右に曲がり約5km北上すると着きます。

しかし、この12kmの道のりが・・・車だと12分で着く道のりが・・・こんなにもハードで果てしない道のりだったとは・・・(泣)

勘違いしてたんですね・・・私は・・・、高低差が小さい=平坦な道・・・だとたらーっ(汗)
高低差が小さいってことは少なからず登り下りがあるということですもんね・・・(T T;)たらーっ(汗)

この時は本当に車の有難さがわかりました(T T)
神様が車にもっと感謝しなさい!って教えてくださったのかもしれませんm(_ _*)m

昔の人はこんな道を自らの足で歩いて行き来してたんですもんね・・・それに比べ自転車でこれだもの・・・(^^;)情けない・・・たらーっ(汗)

つづく⇒【住吉神社】(壱岐島)

【壱岐島】:長崎県壱岐市⇒[ 地図 ]

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