≪御祭神≫
・天村雲命(あめのむらくものみこと)
・天三降命(あめのみくだりのみこと)
≪合祀≫
・大山咋命(おほやまくいのみこと)[今山権現・山王]
・須佐乃男命(すさのをのみこと)
・建御雷命(たけみかづちのみこと)
・經津主命(ふつぬしのみこと)
・菅原道眞命(すがわらのみちざねのみこと)
・大山祗命(おほやまづみのみこと)
火災により旧記を失われたそうですが、伝えによると、神代の昔、天村雲命(あめのむらくものみこと)が牛に乗って高天原から高千穂に天降られた時に、田原川の西岸の森に落ちられました。牛が椿の枝で目をついてケガをしてしまったため、命は田原川西岸の釜石(田原)と東岸の妹生迫(せのおさこ)の人々に助けを求められました。しかしながら、誰ひとり助けにくることはありませんでした。
そのうちに、松の下(上野)の人々が噂を聞きつけて、命の牛に水を汲んで与えました。命は松の下の人々の親切を喜ばれました。
釜石と妹生迫の人々には「末永く聾(つんぼ)の絶えることはあるまい」とお怒りになられました。
その後、命と人々の手当てのかいもなく、牛は8日目で死んでしまいました。
命が8日間、お住まいになられた森を八日森(やかもり)と呼び、牛のために水を汲んだ池には今も冷水が涌いているそうです。
人々は八日森に天村雲命を偲び、大空三郎天神(おほぞらさぶろうてんじん)と称し祀ったとされます。この時に天三降天神(あめのみくだりてんじん)もともに祀られたそうです。
天歴8年(955年)、火災によって焼失した社殿が再建され、その後の慶安2年(1649年)、元禄元年(1688年)、寛政5年(1793年)にそれぞれ社殿が再建された記録が残っています。
明治4年(1871年)に集落の小社を合祀して「黒口神社」となりました。
御祭神の天村雲命(あめのむらくものみこと)は、天孫・天津日高日子番邇々藝命(あまつひこひこほのににぎのみこと)のご降臨に際して、当地に水が無かったことから、再び高天原に上がられ、天真名井の水種をもってこられた神です。その場所が「くしふる神社」の近くに在ります「天真名井(あめのまない)」です。
また、天三降天神(天三降命)は、宇佐氏系譜によると、高御産巣日神の御子である天活玉神(あめのいくたまのかみ)の御子と伝わります。
入口
参道階段
参道階段・鳥居
参道
社殿
【黒口神社】:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字上野字二龍野2215⇒[ Googleマップ ]
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