≪御祭神≫
・猿田彦大神(さるたひこのおほかみ) 【猿田毘古神/猿田毘古大神】
・天宇受賣命(あめのうずめのみこと) 【天宇受賣命】
『古事記』や『古語拾遺』などによると、
天孫【天照大御神と高木神の孫】の邇邇藝命(ににぎのみこと)の御一行が天降りなされようとする時、天之八衢【あめのやちまた:天空の道の岐路】に、上は高天原【天空】、下は葦原中國【地上】に光を反射させる神がいました。
天照大御神と高木神の詔命で、天宇受賣神(あめのうずめのみこと)は、その天之八衢の神に、その身元と天之八衢に居る理由を問われました。
その神が猿田毘古神(さるたひこのかみ)で、天神(あまつかみ)の御子(みこ)が天降られると聞き、その先導に仕えようと参上し待機していることがわかりました。
こうして、邇邇藝命は猿田毘古神を先導に、多くの神々を従えて、竺紫日向之高千穗之久士布流多氣(つくしのひむかのたかちほのくしふるたけ)【荒立神社の南西に位置する山】に天降られました。
天孫降臨の後、邇邇藝命の詔命により、天宇受賣命は猿田毘古神を伊勢之狹長田五十鈴川上(三重県伊勢市宇治浦田辺り)に送り仕えることになります。
その時に、逢初めの契りを結ばれて久士布流多氣(くしふるたけ)の後方から伐採した荒木で宮居(仮宮)を建てられました。
その旧跡に鎮座するのが荒立神社です。古くはその故事に因み、社号を「荒建宮」としたと伝わります。
また、後世に二神を祀る宮を建てた時に、荒木の白水造としたことから「荒建宮」の社号になったともいわれます。
天宇受賣命は天照大神が天石屋(あめのいはや)に隠れ籠られた時に、天石屋の御前で神楽を舞われた神としても知られ、芸能や芸術の神として信仰され、猿田毘古神は交通安全の神として信仰されています。
【荒立神社】:宮崎県高西臼杵郡千穂町大字三田井667⇒[ Googleマップ ]