旧:田嶋坐神社
≪御祭神≫・田心姫尊(たごりひめのみこと)
・市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)
・湍津姫尊(たぎつひめのみこと)
≪配祀≫
・大山祇神(おほやまつみのかみ)
・稚武王尊(わかたけおうのみこと)【仲哀天皇の弟】
創祀年代は不詳ですが、宗像大社の辺津宮(宗像市田島)より勧請され、宗像大社の所在する地名「田島」をそのまま社名にしたと伝わります。
古くより海上交通の神として崇敬を集めていたそうです。
「延喜式」には松浦郡二座のうちの1座で名神大社に列せられていました。
この田島神社は、唐津市の北北西の先端、呼子の北にある加部島の西に鎮座しています。
参道入口の鳥居 元寇の礎石
頼光鳥居
佐賀県最古の肥前鳥居。貞元2年(977年)源頼光(みなもとのよりみつ)が肥前守として下向した際に寄進したものだそうです。
肥前鳥居をくぐらずに先に進むと海に面した鳥居があります。
楼門より
狛犬
社殿
御本殿
拝殿の左側に鎮座する【佐與姫神社】
≪御祭神≫・佐與姫命(さよひめのみこと)
案内板によると、宣化天皇2年10月(537年)大伴狭手彦は勅命により任那を援護することになり、京の都を発し、松浦国篠原の里に滞在しました。篠原村の長者の娘 佐與姫は心優しく狭手彦と相思の仲となりました。
いよいよ出航の時、別れを惜しみ後を慕い領布振山(ひれふりやま)【鏡山】に登り遥に船影を望みました。更に松浦川を渡り沖合遠く走る帆影は小さく雲間に没して見えなくなりました。姫の悲嘆はますます募り田嶋坐神社の神前に詣でて夫の安泰を祈念しながらも泣き続け息絶えて神石となられたといいます。これが「望夫石」で、これをお祀りしたのが佐與姫神社だといいます。
床下には、佐與姫が夫の無事を祈って石になったといわれる神石「望夫石」があります。
【御崎神社】
≪御祭神≫・級長津彦神(しなつひこのかみ)
・級長津姫神(しなつひめのかみ)
・猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)
佐與姫神社の奥に鎮座しています。
文禄の昔、豊臣秀吉の渡海船小鷹丸の船首に、瑞真榊を立て三種の神器を奉り、大陸に七度の往復して無事帰国することができたので、その後神恩感謝の為、海上安全の守護神としてお祀りされたそうです。
力石(ちからいし)
豊臣秀吉が名護屋在陣の時、その配下武将達が
田島神社参拝に際して、海岸より一抱えもある
円石を社前に運び上げて、力比べをした石で、
現在は一個しか残っていないそうです。
さらに進んだ林の中に石太閤祈念石があります。
案内板によると、豊臣秀吉が文禄の昔、田島神社神主等7日間の断食潔斎沐浴して祈念を修し、「速やかに大願成就世場この巨巖二つに割るべし」と祈りて、満願に達した時、秀吉自ら神前に熱祷こめ槍の石突を以て巨巖を突くと、一山鳴動して真二つに割れたと伝えられているそうです。
御由緒
田島三神は遠い神代の昔に天照大御神が素盞嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。
当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。大同元年には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年國幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。(境内案内板)
【田島神社】:佐賀県唐津市呼子町加部島3956⇒[ Googleマップ ]
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はじめまして。こんにちは。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。参考になったとのお言葉大変嬉しく思います。
花垣様も沢山の神社を参拝されているのですね(^^)
本州の神社に参詣の際は、花垣様のブログも参考にさせていただきます。ありがとうございます。