≪御祭神≫
・健男霜凝彦神(たけをしもごりひこのかみ)
・彦五瀬命(ひこいつせのみこと)
・姫神(ひめかみ) [久住山頂の神]
久住山の南東、国道442号線沿いにある竹田市役所久住総合支所の手前にある久住交差点から県道30号線に入って約300m進んだ右側に久住神社に向かう入口があります。
この久住神社は、従来は往古から久住山頂の山神の姫神を齋祈した上宮と、桐迫村に農耕神健男霜凝彦神(たけをしもごりひこのかみ)を社祠した下宮を併祀した神社でしたが、大化元年(645年)神武天皇の皇兄である彦五瀬命(ひこいつせのみこと)の神霊が紀州竈山神社【現:和歌山県和歌山市】から飛来して桐迫村宮田鉾の木に鎮座されたので、寛徳元年(1044年)白丹南山城主 志賀義天(しが ぎてん)が下宮の地にこれを勧請し、従来のまま「健男霜凝彦神社」と尊称し併祀したと伝わります。
天文2年(1533年)には「平摩大明神」とも尊称されていたようです。
後の天正14年(1586年)鹿児島薩摩軍との戦いに志賀氏は敗れ没落したため神社も廃頽しましたが、慶長5年(1600年)加藤清正(かとう きよまさ)が肥後に封じられ、肥後藩熊本城主となって再興、久住手永(産山・波野・白丹・久住)一円の崇敬を集めました。此の頃は「九住大明神」とも尊称し奉られていたそうです。
寛文6年(1666年)日守【現:飛森】に社殿を造営、遷座し新宮を「久住宮」と尊称し、肥後藩久住手永の氏神として崇敬され、その後「久住神社」と改称、この地方一帯の人々の氏神として現在に至っているそうです。
鳥居
参道と久住神社
拝殿 神額
御本殿
拝殿屋根の狛犬
≪境内社≫
【八坂神社】・須佐之男命(すさのをのみこと)
【年徳社】 ・大歳神(おほとしのかみ)
【久住神社】:大分県竹田市久住町大字久住6499⇒[ Googleマップ ]
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