2013年02月28日

【丹生神社】(大分県大分市)

大分県大分市大字佐野に鎮座する【丹生神社】(にゅうじんじゃ)

鳥居と神門.JPG

≪御祭神≫
 [丹生大明神] 
   ・罔象賣神(みつはのめのかみ) 
 [二ノ宮大明神]
   ・建磐龍命(たけいはたつのみこと) 


大分市立丹生小学校の北東約400mに鎮座しています。

社伝によると、「白鳳時代文武天皇2年(698年)朝廷に朱沙を献ずる。」とあり、水神 罔象賣神(みつはのめのかみ)を佐野山(当時:古宮/現:観音堂)に祭祀し、以来「丹生大明神」と崇敬を受けてきました。
その後鎌倉時代初期の建久7年(1196年)大友氏豊後下向の際、大在井(現:大在)沖で台風に合い、船が難破寸前、丹生大明神の神威により難を逃れて無事に上陸を果たしたとして、翌年報恩感謝のため社殿を造営し、後に社殿の近く(現:社務所)に京都仁和寺の末寺として恵日山来迎寺を建立、社僧を置いて宮守りとされました。

室町初期応永元年(1394年)9月29日、大友十代当主親世公は家臣の富高氏に命じ、阿蘇大社の御祭神 建岩龍命(たけいはたつのみこと)を迎え、一ノ宮(現:宮河内阿蘇社)二ノ宮(現在地)三ノ宮(豊後国誌は屋山村と記)を造営し、二ノ宮は丹生大明神と合祀したので、以来、丹生二ノ宮大明神となり大友氏累代の崇敬はことのほか篤かったと言います。

豊臣秀吉の時代、天正14年(1586年)島津軍の進攻兵火にあい社殿寺院を焼失しましたが、慶長8年(1603年)臼杵藩主 稲葉氏により社殿は修復され、寛文2年(1662年)寺院を再興、寛文6年(1666年)には神殿が造営されたそうです。



参道階段
参道.JPG


神門                         神門より
神門.JPG 神門より.JPG

2010年に参詣した際(上記写真)は、ちょうど綺麗に修復されて新しくなっていた神門。
それから2年後の2012年に参詣した際は、2年の年月を感じるいい色合いに落ちついていました。
参道も綺麗に修復されています。

社殿
丹生神社.JPG

神額                           社殿
神額.JPG 社殿 (3).JPG
こちらは2010年に参詣した際の修復前の↑参道


御本殿
御本殿.JPG



御本殿の左側には稲荷社が鎮座され、境内の右側に登ると金刀比羅社・祖母山社、さらに登って行くと、丹生大明神元宮、朱沙原石、観音堂などが祀られています。




◎境内社【稲荷神社】
稲荷社.JPG

≪御祭神≫
 ・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

享保9年(1724年)4月、五穀成就と厄除のため丹生郷の庄屋が願主となり、伏見稲荷大社より御分霊を享けて祭祀されたのが始まりです。
現在の社殿は元丹生神社の御神殿で、昭和5年(1930年)大改築の際に当社に移したもので、寛文6年(1666年)正月 臼杵藩主稲葉信通(いなばのぶみち)公の御寄進によるものだそうです。




◎境内社【金刀比羅社・祖母山社】
金刀比羅社・祖母山社.JPG

【金刀比羅社】
 ≪御祭神≫ ・大物主命(おほものぬしのみこと)

天明5年(1785年)6月、丹生郷永代五穀成就と火災災難除けのために五庄屋(久所・岡・原・一木・屋山各村)が願主となり、建立祭祀されました。

【祖母山社】
 ≪御祭神≫ ・木花咲耶媛命(このはなさくやひめのみこと)

明治36年(1903年)4月、五穀成就厄除を祈願して丹生村の有志が相謀り丹生大明神社地の金比羅社の境内に祭祀されたといます。




丹生大明神「元宮」
丹生大明神元宮.JPG

  丹生大明神元宮   御由緒
往古白鳳時代の文武天皇二年(西暦六九八年)豊後國丹生郷より朝廷に朱沙を献上するとあり、その当時の人々五穀豊穣は水神様の御威徳によるものと罔象売神を祭祀する。
以後丹生大明神と崇敬し、九月八日を祭日感謝の作祭としている。その後鎌倉時代初期建久七年(西暦一一九六年)大友氏豊後下向の時大在井(現大在)沖で台風に会い船が難破寸前丹生大明神に救われ無事上陸を果たした。
翌年災難除けの神として報恩感謝し社殿を現在地に造営するまでの御鎮座地であった。
(案内板より)



原石「朱沙」
原石「朱沙」.JPG

   原石「朱沙」   由来記
往古白鳳時代の文武天皇二年(西暦六九八年)、豐後國丹生郷より朱沙を朝廷に献上している地名を赤迫といい、これが「丹生」の地名の起源といわれている。
その原石の一つが丹生神社の社地(佐野山)に据えられているのである。尚この原石こそ丹生大明神の御神体ではないかとの説もある。
大正・昭和初期の頃まではこの原石を削り水に溶いて眼病の薬としたといわれている
(案内板より)



観音堂
観音堂.JPG

                   観音堂                      一石一字塔
観音堂 (2).JPG 一石一字塔.JPG

  観音堂     由来記
寛政二年(西暦一七九〇年)五月十三日臼杵藩主稲葉公に願い出て丹生郷の村民安穏成就を祈願し二ノ宮大明神の氏子中が観音石仏三十三体を寄進西国三十三ヶ所石仏観音として、丹生大明神元宮跡に建立する。
観音堂にお参りすれば西国三十三ヶ所の代彦とされ十三夜には参道西側に千本と言われた多数のローソク(松明)が立てられ参拝者で賑わった。
現在も信仰参拝する人々によって大切に守られている。

  一石一字塔
享保四年(西暦一七一九年)丹生中の人々臼杵月桂寺和尚を招き古来より丹生大明神御神幸社地仮屋ヶ鼻(現経塚)に建立する。
昭和一六年社地を国に接収され観音横に移設する。
(案内板より)


丹生神社】:大分県大分市大字佐野567⇒[ Googleマップ ]

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posted by miya at 17:00| 大分 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(大分県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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