≪御祭神≫
・比賣大神(ひめおほかみ)
┗ 多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)
┗ 市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
┗ 多岐都比賣命(たきつひめのみこと)
・日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)
・鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
・豊玉比賣命(とよたまひめのみこと)
・安曇磯良命(あづみのいそらのみこと)
関門海峡に面する九州の最突端に鎮座しています。
社記によると、仲哀天皇9年(200年)神功皇后三韓より御凱旋のときに御創建され、皇后自ら神主となり齋き祀られたと伝わります。以来、西門鎮護の神として歴代の将軍、領主等により篤く崇敬されてきました。
江戸時代までは、「速戸社」(はやとのみや)、また「隼人社」、「速門社」、「早鞆明神」とも呼ばれていたそうです。
古来より「和布刈神事」(めかりしんじ)という、新年の豊漁を祈願するお祭りが行なわれており、毎年旧暦の大晦日の深夜から元旦にかけて三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸で和布(め/わかめ)を刈り採って、神前に供えます。和銅3年(710年)には神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述も残っているそうです。
この和布刈神事(福岡県指定無形文化財)が有名なため、やがて「和布刈神社」 (めかりじんじゃ)と称されるようになったようです。
関門橋 入口
社殿
拝殿 御本殿
謡曲「和布刈」と和布神事の案内板 和布刈神社由緒板
≪境内社≫
【猿田彦大明神】・猿田彦大神(さるたひこおほかみ)
【稲荷社】・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【恵比寿社】・八重事代主神(やへことしろぬしのかみ)
関門海峡 関門橋と月
九州と本州を隔てる関門海峡。(旧:馬関海峡)
海峡が狭く、最深部47m、潮流も速くて潮の干満により1日4回潮流の向きが変わるといいます。また、国内や外国の船舶を、参詣している間にも3、4隻見ることができました。
この関門海峡に、1185年(元暦2年/寿永4年)3月、壇ノ浦の戦いで安徳天皇(あんとくてんのう)が入水され、平家一門が滅亡したといいます。
幕末時代の1863年(文久3年)7月には、長州藩が馬関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を開始し、翌年5月の下関戦争(馬関戦争)が勃発という悲しい戦いの歴史もたくさんあります。
現在、この関門海峡を隔てた九州と本州をつなぐのは、海峡の下を通る「関門トンネル」と海峡の上を通る「関門橋」。
そして、関門海峡と2つの島を結ぶ道を見守るように鎮座するのが「和布刈神社」。
ここに立つと、古(いにしえ)と現(いま)という時の間(はざま)を感じさせていただくことができます。
【和布刈神社】:福岡県北九州市門司区門司3492⇒[ Googleマップ ]
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