≪御祭神≫
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
・伊邪那美神(いざなみのかみ)
他十七柱を合祀
戸上神社は、北九州市門司区の標高521mの戸上山(とのへやま/とのえさん)の麓にある神社で、山頂には「上宮」が鎮座しています。
宇多天皇(うだてんのう)の御代、寛平年間(889年〜896年)に、豐前國企救郡柳ヶ浦(ぶぜんのくにきくのこほりやなぎがうら)【現:門司区大里付近の海】の漁師の網に光輝く玉がかかり、漁師はそれを引き上げて根二の濱の松の根元に置いておきました。それからしばらくして、馬寄村の伊古野大学の夢に「根二の浜に迎えに来るように。」と神のお告げがあり、その玉をしばらく邸内の「鳥居の宮」にお祀りしました。
その後、馬寄村の一坂の前立山に社を建て鎮座していましたが、また夢の中で「我は柳ヶ浦の氏神なり。我を鶏の声の届かぬ高き所に祀れ。」と神のお告げがあったので、峰刑部を祭主として枝折戸(しおりど)【枝や竹を折り組んで作った開き戸】に載せて山上に三柱の大神が祀られました。
以来、山を「戸上」号し、戸上権現と称され崇敬されてきました。
後に山上を上宮として、山麓を本宮とし、柳ヶ浦七ヶ村【現:大里地区】の氏神として、「戸上神社」と改められました。
江戸時代になると、小倉藩主の細川氏や小笠原氏の尊崇篤く、社殿の造営や社領の寄進等もあり、また参勤交代で大里の宿場を通過する九州諸大名は、武運長久と海陸の交通安全を祈願していたそうです。
この戸上神社は、JR門司駅から約1km東にある北九州都市高速道路「大里インター」の南側に鎮座しており、県道71号線沿いの高架前に鳥居があります。
高架手前の鳥居 高架先の鳥居
参道階段
久留米藩藩主有馬公寄進の鳥居↑参道と社殿
2、3年前、はじめて訪れた時のことは今でも忘れません。
その後も何度か参詣していますが、境内は清々しく、優しく深い神の懐に抱かれているかのような穏やかな気が溢れています。
社殿
神額 社殿
現在の社殿は、平成13年(2001年)7月の火災で焼失したため、平成15年(2003年)9月に再建されたものです。
御本殿
また、戸上神社の隣には、大同元年(806年)、唐から帰還中の弘法大師【空海】が、博多より関門海峡をご通過して京に向かう途中の船上で、戸上山を仰ぎみて下船し、霊峰戸上山に登り密法を修め、山麓に一宇を建立し、唐より持ち帰った随身供養の観世音菩薩像を安置して創建したと伝えられる「満隆寺」がありました。
戦国時代に大友氏の兵によって僧坊等悉く灰燼に帰しましたが、江戸時代に復興されました。しかし明治初期の神仏分離の制度により終わりをつげました。
参道境内の右側にある大師堂や大日如来像、小笠原忠真奉納の十二神将はその名残だそうです。
【戸上神社】:福岡県北九州市門司区大里戸ノ上4丁目4−2⇒[ Googleマップ ]
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