≪御祭神≫
・天津神(天つ神七柱・天の七星=北斗七星・霜神)
・鬼八天(鬼八法師)
阿蘇山の北、阿蘇市役犬原の田園地帯内に鎮座しています。
霜神社(霜宮)の由来は、2500年ほど前、阿蘇神社の御祭神である健磐龍命(たけいはたつのみこと)がお始めになったと伝わり、阿蘇を開拓して民人に生活の道を教え五穀を植えさせましたが、晩秋に早霜が降り五穀がみのりませんでした。
命はこれを憂えて霜の神(天の七星、天つ神)を祀り、火焚きの神事を起し祈願なされたところ、霊感たちまちいたって、風・雨・霜・雪のほどよいめぐみを得て、五穀豊かにみのり民人の生活は安定するにいたりました。
これが霜の宮の起源であり、以来、命のおきてを守り8月19日から10月16日までの火焚きの神事が今日まで続いているそうです。
また、こんな伝説も残っています。
阿蘇を開拓し農業を伝えたとされる神 健磐龍命(たけいはたつのみこと)が阿蘇五岳の往生岳に腰をかけ、北外輪山の大石(的石)めがけて弓の稽古をしていました。その矢を拾って命のところまで運んでいた家来の鬼八は、九十九本まではきちんと拾って命のところへ持っていきましたが、さすがに疲れてしまい百本目の矢を足の指にはさんで命に蹴り返しました。大事な矢を足蹴にされた命は怒り、逃げる鬼八の首を斬りました。
恨みに思った鬼八は、「阿蘇谷に霜を降らし、この怨みを晴らしてやる」と言い残し息絶えました。
以後、毎年早霜が降り阿蘇の民は大変苦しめられたので、命は鬼八の霊に祈り、鬼八を神として末永く祀るからと許しを請いました。すると鬼八は「斬られた首が痛むから暖めてほしい」と言ったので、命は阿蘇谷の真ん中に「霜宮」を建て、鬼八を祀り、火焚きの神事を始められたといいます。
昔は、霜宮、霜神社と称されていたようですが、現在は霜宮神社と称するようです。
鳥居 神額
社殿
神額「霜宮」 御本殿
【火焚き神事】
地域の人の中から選ばれた幼い「火焚き乙女」が火焚殿に籠って約59日間火を焚き続けるという神事で、昔は火焚きの間は乙女はこの敷地から出ていけないという決まりがありました。
今は乙女が火の世話を行うのは祭りの時だけでその他の日は地域の世話役が世話をしているといいます。
また、火焚きの期間は8町四方では喧嘩、大声は厳禁とされているそうです。
【霜宮神社】:熊本県阿蘇市役犬原⇒[ Googleマップ ]
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