≪御祭神≫
・健緒組命(たけおぐみのみこと)【健軍大神】・・・[火国造の祖・阿蘇大神の外祖]
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・・・[造化三神・別天津神]
・仲津彦神(なかつひこのかみ)
・仲津姫神(なかつひめのかみ)
・健磐龍命(たけいはたつのみこと)・・・[神八井耳命の御子、神武天皇の御孫]
・阿蘇津姫命(あそつひめのみこと)・・・[健磐龍命の妃]
・神渟名川耳命(かむぬなかはみみのみこと)【綏靖天皇・神沼河耳命】・・・[神武天皇の御子]
・日子八井命(ひこやゐのみこと)【草部吉見神・國龍命】・・・[神武天皇の御子]
・國造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)・・・[建磐龍命の御子神]
・比東芬q命(ひめみこのみこと)・・・[國龍神の妃]
・彦御子命(ひこみこのみこと) 【惟人命】・・・[健磐龍命の御孫]
・若比当ス(わかひめのみこと)・・・[彦御子神の妃]
・新彦命(にひひこのみこと)・・・[國龍神の第一の御子]
・新比当ス(にひひめのかみ)・・・[新彦神の女神]
・若彦命(わかひこのみこと)・・・[新彦神の御子・新比売神の弟神]
・彌比当ス(やひめのみこと)・・・[新彦神の妃]
熊本県庁より東南東約1.2kmの所に鎮座しており、熊本県庁の東を走る国道3号線(熊本東バイパス)沿いにある「健軍」信号を東に曲がって進んでいると、正面に立派な楼門が見えてきます。
阿蘇神社(阿蘇市)、甲佐神社(上益城郡甲佐町)、郡浦神社(宇城市)と共に『阿蘇四社』と称せられ、熊本市内で最古の神社と伝わります。
古来この地には、健緒組命・天之御中主神・仲津彦神・仲津姫神がお祀りされていましたが、欽明天皇19年(558年)に阿蘇神社の大宮司に神託があり、同神社を勧請して、異賊鎮退のため西に向けて社を建て社号を「健軍」(たけみや)と称したといいます。
昔は「竹宮」(たけみや)、また健軍十二社大明神宮とも称されていたようです。
昭和以降になって、「たけみや」が「けんぐん」と音読されるようになったそうです。
また国司勧請説もあり、由緒板や肥後国志によると、欽明天皇19年(558年)、阿蘇大明神を崇敬していた肥後の国司 藤原法昌は、阿蘇神社神串祭祀執行の折々、阿蘇神社を参詣していましたが、阿蘇神社へ供え物等運送するのに夏は洪水旱魃、冬は雪霜早く降りて、五穀不熟を憐れんでいました。ある年の冬12月13日、阿蘇宮を参詣の時、大雪が降りだし道路を塞いで進退に窮り、暫くこの地の椎の樹の下に野陣を張って雪が晴れるのを待ちました。
国司は、阿蘇宮を遥拝して、心底、阿蘇大神をここに勧請し、老弱者の阿蘇宮参詣の労苦を救えればと願っていると、朝方近く(五更の頃)、3歳ぐらいの童子(わらべ)が突然石の上に現れ、国司に向かい『 汝 阿蘇大神を尊信し、二心なく厳寒積雪を厭はず 此に来たりあまるに衆人遠路の労を憐れみ、大神を此の地に勧請せんと願う。神明何ぞ感応せらんや。宜しく此処に勧請すべし。然るに阿蘇宮は皇城鎮護のため東に向い建つ、当社は夷賊新羅鎮退のため西に向い社を建て健軍(たけみや)と号すべし。汝に託す、吾、すなわち阿蘇大神なり。』と宜り終えて姿を消しました。国司は多いに驚き、朝廷に奏上して直ちに社殿を創建して、阿蘇大神の荒霊を鎮祭し「健軍宮」と号したと記されています。
天正年間、竹宮の地が島津軍に焼打ちされており、そのときに健軍社も焼失したようですが、その後、加藤清正が朝鮮から帰国後、前野助兵衛に命じて健軍社を再建されたようです。
楼門
とても立派な楼門です!
楼門前の鳥居は低くて、なんでこんな造りを・・・??
と、思っていたら、この楼門がよく見えるようにとの配慮のようです。
参道
社殿
御本殿
御本殿彫刻
【雨宮神社】
≪御祭神≫
・雨宮大神(あめみやおほかみ)
御由緒によると、寛和年中(西暦985〜986年)肥後の国 託麻郡健軍村の中に(現:神水)三つの島があり松島といいました。その島の川中に一つの霊石があり、雨の気配を感じると水中より浮き出て、また晴れならば水中に沈み、その石の形色尋常ではありませんでした。雨宮大神とお祭りすれば雨が降るとの神話により、勅命により沈め祭れば、その効果があって雨が降り大地を潤したといいます。これにより、この地の不浄を禁止し、神水(かみず)と唱えていましたが、いつのまにか村名となり神水(くわみず)と称えられ、その後、雨宮大神(御霊石)を健軍神社の境内に遷座したと伝わります。
慶長年中の旱魃の時、加藤清正が自ら素足にて祈雨歌を一首神前にお奉りしたところ効きめがあり雨が降ったと記されているそうです。
【美和神社】(雨宮神社の右側に鎮座)
≪御祭神≫
・大物主大神(おほものぬしおほかみ)・三穂津姫命(みほつひめのみこと)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)・猿田彦大神(さるたひこおほかみ)
修復中のだったため、写真はありません。
【國造神社】・【日吉神社】・【天社神社】・【矢城神社】
【国造神社】
≪御祭神≫・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)
健軍神社南約300メートルの所に鎮座されていましたが、電車道路建設のため健軍神社境内へ移築鎮座され、さらに平成3年の台風により倒壊したので現在地に鎮座再建。
【日吉神社】(通称:山王さん)
≪御祭神≫・大山咋命(おほやまくひのかみ) ・若山咋命(わかやまくひのみこと)
健軍神社入口より南西方面約100メートルの所に鎮座されていましたが、区画整理事業により昭和45年健軍神社境内地へ移築鎮座され、さらに平成3年の台風により倒壊したので現在地に鎮座再建。
【天社神社】(通称:お不動さん)
≪御祭神≫・天社大神【道君首名(みちのきみのおびとな)】
健軍神社東北約300メートルの高台に座されていましたが、区画整理事業により昭和54年健軍神社境内へ移築鎮座され、さらに平成3年の台風により倒壊したので現在地に鎮座再建。
【矢城神社】
≪御祭神≫・矢城山神(やしろやまのかみ) ・稲荷神(いなりのかみ) ・青龍神
さざれ石
『さざれ石』の学名は、『石灰質角礫岩』です。石灰石が雨水に溶解され、粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)となって何千年、何万年もの間に、その下にある小石を凝結して、次第に大きな厳に成長します。その『さざれ石』が地表に現れた時、年数がたつと苔が生えてきます
平安時代の前半に『さざれ石』が発見され、年数を経て成長する現象はおめでたいことだと、『古今和歌集』のお祝いの歌に採録されました。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 厳となりて 苔のむすまで
この和歌は、ご主人の長寿を願って、歌われたと思われます。
小さな石が、厳に成長する現象は協調発展の精神を意味し、永遠に栄えゆくおめでたいこととして『さざれ石』は歌われています。 (現地案内板より)
【石立大神】(童子出現の石)
≪御祭神≫・石立大神
楼門の道路を挟んだ所に鎮座しています。
阿蘇大神が童子の姿になって石の上に出現したその石を「石立大神」として祀ったと伝わります。また、一説によると景行天皇御腰掛けの石ともいうそうです。
境内より楼門
【健軍神社】:熊本県熊本市東区健軍本町13-1⇒[ Googleマップ ]
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