2012年09月13日

【郡浦神社】(熊本県宇城市)

熊本県宇城市三角町に鎮座する【郡浦神社】(こうのうらじんじゃ)

社殿.JPG

≪御祭神≫
 ・蒲池比当ス(かまちひめのみこと)[阿蘇大神の外祖]
 ・健磐龍命(たけいはたつのみこと)【阿蘇大神】
 ・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)【國造大神】
 ・神倭伊禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)【神武天皇】[初代天皇]


宇城市役所から西の、国道266号線を天草に向けて約17kmほど進むと、県道243号線へ入る道があるので右折し、約200m先の十字路を右折、約350m進むと左側に鎮座しています。


阿蘇神社(阿蘇市)・甲佐神社(上益城郡甲佐町)・健軍神社(熊本市東区)と共に『阿蘇四社』と称せられ、中世には、肥後國の三の宮として信仰されてきました。

神額.JPG 創始は不詳ですが、古くから現在地の近くに鎮座していた
 蒲智比盗_社(蒲池比当ス)がこの地に遷座され、のちに
 健磐龍命・速瓶玉命・神武天皇が併せ祭られたそうです。

 『三代實録』の、元慶2年(878年)の条に「宇土郡正六位上
  蒲池比盗_社後左ノ三柱の神を併祭る
」と記述もあります。

 また、『大日本史陽成紀』(日本三代實錄卷卅四)に、
 「元慶二年戊戌[中畧]九月七日己亥 有大鳥集肥後八代郡
 倉上宇土郡蒲池比盗_前河水赤如血瀕河山野草木凋枯

 とあり、元慶2年(878年)大鳥が肥後八代郡倉上に集まり、
宇土郡の蒲池比盗_社の前の河川の水が赤くなり、まるで血のようになって流れ出して山や野の草木を凋枯させたとあります。
「三角史」によると、中世、この地方では郡浦地区を中心に、製鉄が繁栄していて、蒲智比盗_社の川の上流にも官迫(かんざこ)という製鉄があったと記録があり、この異変も、製鉄用の鉄が川に流れてそれが酸化して川を赤く染め、その鉄錆が草木を枯死させたではないかと推測されています。

また、同じく『大日本史陽成紀』(日本三代實錄卷卅四)に、「十一日 太宰少貳嶌田忠臣奏橿日神憑人云 新羅將侵邉宜嚴豫備因遣使大神宮祈之[中畧]・・・二十四日乙酉 守橿日之靈告及肥後有怪遣使奉幣 橿日八幡及姫神 住吉 宗形等大神」とあり、元慶2年12月11日 橿日神(香椎神)が憑人して「新羅の侵略に対して厳重な備えをして、遣使を大神宮に祈らせよ」と神託があり、同年12月24日(乙酉) 橿日の靈告(神託)と肥後國の怪事があったことで、橿日八幡(香椎宮)と姫神(蒲智比盗_)・住吉・宗形等の神社に遣使の奉幣があったことが記されています。

また、郡浦神社所有の棟礼に「伏以当社者郡浦社 阿蘓社 八幡宮靈庿也 因茲奉三宮大明神云々 于時延寶五年丁巳九月吉祥日」とあり、「当社(郡浦神社)は、郡浦社・阿蘓社・八幡宮(香椎宮)の霊庿(霊廟)である。それに因みこの場所に「三宮大明神」を祭祀する。延寶5年(1677年/丁巳)9月吉祥日」と記されているそうです。


社領は当時、住吉、長浜を除く宇土半島全域に渡り、社田350町、網田に80町を有する大社でしたが、天正年中に戦乱で社殿、宝物すべて焼失し、神領も奪椋されたといいます。
現在の社殿は嘉永2年(1849年)再建されたものだそうです。
また、昔は、八幡宮・住吉宮も併せ奉られていたそうですが、いつの時代か別の所に遷座されたようです。


境内には平安時代初期のものとされる石造の五重塔や、明治9年(1876年)に熊本で起こった「神風連の変」において、宇城市三角町大岳山頂で自刃した六烈士ゆかりの石碑、殉国の碑などがあります。


群浦神社】:熊本県宇城市三角町郡浦2666⇒[ Googleマップ ]

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posted by miya at 15:00| 大分 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(熊本県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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