(旧:瀧ノ宮牛頭天王宮)
≪御祭神≫
・素盞嗚尊(すさのをのみこと)
・五十猛尊(いそたけるのみこと)
・奇稲田媛命(くしいなだひめのみこと)
・足摩乳命(あしなづちのみこと)
・手摩乳命(てなづちのみこと)
・田心媛命(たこりびめのみこと)
・湍津媛命(たきつひめのみこと)
・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
・天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
・天穗日命(あめのほひのみこと)
・天津彦根命(あまつひこねのみこと)
・活津彦根命(いくつひこねのみこと)
・熊野樟日命(くまのくすびのみこと)
天正天皇【日本根子高瑞淨足姫天皇(やまとねこたまみづきよたらしひめのすめらみこと)】の御代の養老年中(717年〜724年)、この地に疫病が流行した際、播磨國餝磨郡【兵庫県姫路市】の廣峯神社より疫病鎮守の神として、「垂水廃寺」の境内に勧請し祭祀したのが始まりと伝えられています。
以来、「瀧ノ宮牛頭天王」として親しまれていましたが、「垂水廃寺」の衰退にともない現在地に遷座されました。「垂水廃寺」は、上毛町役場・南吉富小学校付近にあったとされる白鳳寺院で、8世紀後半まで存続していたとされています。
その後、慶應4年(1868年)3月、神仏混淆を禁止し寺院と神社を分離するように命じる「神仏判然令」により、「瀧ノ宮牛頭天王宮」と称していた社号は、現在の「八坂神社」に改められました。
地元では現在でも「牛頭天王」、「ゴシテンノウ」、「ゴステンノウ」の通称で親しまれてるそうです。
この八坂神社は、JR吉富駅から、山国川に沿って南に約3.5km下った所にある「牛頭天王公園」内にあります。
拝殿
拝殿左右の龍の彫刻
合祀前まで皇大神宮遥拝社に使用されていたもの
この龍の彫刻には、こんな伝説が残っています。
昔、神殿の龍の彫刻が、夜な夜な抜け出して山国川まで下って川の水を飲みにいっていました。それで神社の丘から川に向かって蛇行した道があったそうです。
里人は、子供たちにも「夜は、あすこん川には行きなはんなよ」といい聞かせていました。
しかし、ある時、「このままにしておいてはいけない」として、村の古老の善後策によって、昼夜を問わず龍が抜け出せないように、龍の目に五寸釘を打ってみました。すると、夜な夜な抜け出す龍の姿を見るものはいなくなり、蛇行した龍の通り道もなくなったそうです。
少し、可哀想な伝説ですね(^^;)
舞殿より
神額 御本殿
≪境内社≫
皇大神宮遥拝所 貴船神社跡地
【皇大神宮遙拜所】(老朽化に伴い現在は「八坂神社」に合祀)
・八重言代主神(やへことしろぬしのかみ)
・天兒屋神(あめのこやねのかみ)
【貴船宮】(垂水字貴船畑より遷座。台風による倒壊に伴い現在は「八坂神社」に合祀)
・高淤迦美神(たかおかみのかみ)
・闇淤迦美神(くらおかみのかみ)
・闇罔象神(くらみつはのかみ)
・八將神
┗太歳神(たいさいじん)
┗大將軍(たいしょうぐん)
┗太陰神(たいおんじん)
┗歳刑神(さいぎょうじん)
┗歳破神(さいはじん)
┗歳殺神(さいせつじん)
┗黄幡神(おうばんじん)
┗豹尾神(ひょうびじん)
稲荷社(左)・祓戸神祠(右)
【稲荷社】(垂水字水田より遷座)
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【祓戸神祠】
・瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)
・速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
・氣吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
・速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)
西側の川沿いの≪境内社≫
【稲荷社】
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【蛭子社】(垂水字屋敷より遷座)
・蛭子神(ひるこのかみ)
トベラ祭で使われる『苦木』(とべら)
トベラ祭で氏子が売る「とべら」の枝を持ち帰り、扉に挿せば一年間の
疫病の災を避けられると伝えられているそうです。
このとべらは、扉にはさんで邪鬼を除ける風習から、「とびらの木」と
呼ばれていましたが、訛化して「とべら」になったとされます。
八坂神社の南側にある【牛頭天王公園】
掘立柱建物跡
ここで発見された遺跡は主に弥生時代中期(約2,300〜2,000年前)のものだそうです。
建物跡は計8棟が発見され、いずれも柱を直接地中に埋め込む「堀立柱建物跡」と呼ばれるものです。
牛頭天王公園内の遺跡についての案内板
【八坂神社】:福岡県築上郡上毛町垂水字向648番地1⇒[ Googleマップ ]