≪御祭神≫
・應神天皇(おうじんてんのう)【八幡大神】
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
・神功皇后(じんぐうこうごう)
・仁徳天皇(にんとくてんのう)
他柱
宇佐神宮の境外摂社を『八箇社』(田笛社、鷹居瀬社【鷹居社・郡瀬社】、大根川社、酒井泉社、乙梼ミ、妻垣社、小山田社)と呼び、その一社。
また、宇佐神宮行幸八ヶ社(同上)のひとつでもあり、6年に一度、神輿が巡幸していました。
天平神護元年(765年)閏10月8日の八幡大神の神託によると、豐前國宇佐郡の菱形山【大尾山(また御許山)、小倉山、宮山の総称】の北西の角(現:酒井)に大きな泉があり、八幡大神が御修行の昔、その場所にいらっしゃって口・手・足を洗われたといいます。
その時、豐前國の神の神奈志津比(かむなしつひめ)が酒を八幡大神に奉仕されたので、今、その場所を『酒井』(さかゐ)といいます。
伝承によると、神奈志津比唐ェ酒を八幡大神に奉仕された時、御指で地面を窪め、残り酒を傾けた所、水が湧き出し泉になったといいます。これが現在、酒井泉社の左手にある『酒井泉』(さかゐのいづみ)です。
大化4年(649年)この場所に社殿を建立し、辛島勝乙唐ノより宇佐大神が勧請されました。
この「宇佐大神」は、宇佐地方で古くから信仰されている比賣大神(三女神)か豐前國を持つ神奈志津比当スか・・・どの神がお祀りされたのかは不明ですが、さらに後の世に應神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇が勧請されました。
次 酒井 同郡 同時神託
自利其至流酒井 云々
豐前國宇佐郡菱形山西北角有大泉 大御神御修行之昔 其處有御坐 洗口手足之坐
尓時豐前國持坐之神奈志津比燈酒 依之今酒井矣
古老傳云 比燈酒之時 以御指窪地 傾殘酒之所 水湧出泉成 云々
〜次、酒井(さかゐ)。同じ郡。同じ時の神託。
「其(それ)自(よ)り酒井に至る」云々。
豐前國宇佐郡の菱形山の西北の角に大(おほ)ける泉(いづみ)有(あ)り。大御神、御修行の昔、其(そ)の處(ところ)に御坐(おまし)有(あ)りき。口(くち)・手(た)・足(あし)を洗(あら)ひ坐(ましま)す。尓(しか)る時(とき)に、豐前國を持(も)ち坐(ましま)す神奈志津比(かむなしつひめ)、酒(さけ)を奉(たてまつ)る。依(よ)りて今、酒井(さかゐ)なり。
古老、傳(つた)へ云(い)ふ。
比(ひめ)酒を奉る時、御指(みゆび)を以(もち)て地(つち)を窪(くぼ)め、殘(のこ)り酒を傾(かたぶ)けたまふ所(ところ)、水(みづ)湧(わ)き出(いだ)し泉(いづみ)と成(な)りき。云々。〜
(『八幡宇佐宮御託宣集』日本國御遊化部より)
泉神社(酒井泉社)は、駅館川の西岸に鎮座する郡瀬神社(鷹居瀬社)の前の国道10号線を、約800m西に進んだ、「宇佐市辛島」信号の右手側に鎮座しています。
鳥居
社殿
社殿と北辰社
【北辰社】(ほくしんしゃ)
≪御祭神≫
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
・神御産巣日神(かみむすひのかみ)
文化14年(1817年)島屋政右衛門並務は、日田の広瀬淡窓(ひろせたんそう)の弟「弥六」を辛島家の養子に迎え、泉の宮の社殿の建替・修復と共に、この「北辰殿」を建立したと伝えられているそうです。
『酒井泉』(宝池)
神奈志津比(かむなしつひめ)が酒を八幡大神に奉仕された時、御指で地面を窪めて残り酒を傾けた所、水が湧き出したという泉。
この酒井泉に由来して「酒井泉社」と称するようになったそうです。
それ以来、昭和の終わり頃まで約1200年間湧き出し続け、名水として、また水田の灌漑水として永く広く利用されてきたそうですが、平成の初め頃(1990年)市の下水道工事で泉の水脈が切断され、湧出量が減少してしまい、現在のようになったといいます。
紫陽花
梅雨の時期には、神社の周りを囲むように青や白の紫陽花が色鮮やかに咲き綺麗ですよ(^^)
【泉神社】:大分県宇佐市辛島1⇒[ Googleマップ ]
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