大分県宇佐郡安心院町妻垣に鎮座する【妻垣神社】(つまがきじんじゃ)
《御祭神》
・比淘蜷_(ひめおほかみ)【三女神】
┗多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
┗市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
┗多岐都比売命(たきつひめのみこと)
・應神天皇(おうじんてんのう)【八幡大神】
・神功皇后(じんぐうこうごう)
・玉依毘売命(たまよりひめのみこと)
また、宇佐神宮行幸八ヶ社(同上)のひとつでもあり6年に一度 神輿が巡幸していました。
妻垣山(ともがきやま/ともがけやま)【共鑰山】は、太古、比淘蜷_(三女神)が葦原中國の宇佐嶋(宇佐市御許山)に天降られた後に御滞在された霊地で宇佐神宮第二殿といわれます。
また、神武天皇御東遷の際、宇佐國造の祖宇沙都比古(うさつひこ)・宇沙都比売 (うさつひめ)がこの処に仮の宮を建て奉饗された旧跡【足一騰宮(ひとつあがりのみや)と推定される場所のひとつ】で、天皇は天種子命(あめのたねこのみこと)を以って比淘蜷_(三女神)を祀られたといいます。
天平神護元年(765年)、八幡大神の神輿が此の地(妻垣)を行幸して滞在した場所に、同年10月8日勅使石川豊成(いしかわのとよなり)に八幡大神の神託が有り、神殿を創建し比淘蜷_(三女神)とともに八幡大神を奉祀されたといいます。
神功皇后は、淳和天皇年間(823年〜833年)に勧請され奉祀されたそうです。
妻垣神社は、安心院インターの南西を走る50号線(安心院湯布院線)沿いにある安心院中学校から約700m南に下ったところにある「妻垣入口」バス停の所に、「縣社 妻垣神社」「足一騰宮」と書いた社号標がありますので、そこを曲がって進んで行くと、鳥居が見えます。
そこから案内板に従って登って行くと辿り着きます。
神門より
社殿
御本殿
妻垣山(共鑰山)
妻垣神社の正面にあるのが妻垣山(ともがきやま/ともがけやま=共鑰山)。
妻垣神社の奥宮である巨石が祭られており、八幡大神が御修業行の時、この地で比淘蜷_(三女神)と利生を語り合われ安樂の御心があったので「安心院」という地名が起こったと伝わります。
安心院都麻垣者比淘蜷_之御在所也。御修業行之時。於此所語合利生之給。
有安樂御心之故云爾也。有社。有寺。己佛神事恒例。今都麻垣社是也。
〜安心院(あじむ)都麻垣(つまがき)は比淘蜷_の御在所(おましどころ)なり。御修業行の時、此の所に利生(リショウ※)を語り合ひ給ひ、安樂(アンラク※)の御心(みこころ)ありき。故(かれ)爾(しか)云(い)ふなり。社あり。寺あり。己(すで)に佛神の事、恒例。今の都麻垣社、是れなり。〜
(『八幡宇佐宮御託宣集』日本国御遊化部より)
※『利生』…(仏教用語)神や仏が衆生(すべての生き物)に与える救い
※『安樂』…(仏教用語)常に心安らかで、心に浮き沈みのない状態
神社の左手のほうにある「龍の駒・足形石(馬蹄石)」
と同じく、八幡大神が人皇(應神天皇)の昔、
龍の駒に乗り、この山に飛び翔けた」という
「龍の駒、蹄跡」の伝承が字権現にも伝えら
れてきましたが、場所が崩落の恐れがあった
為、この場所に「移転復元」したものだそう
です。(案内板より)
さらに左のほうに進んでいくと、浜松市の方が奉納された「足一の印岩(復元)」と書いた案内板があり、その案内の矢印に従いしばらく進んでいくと「足一の印岩(復元) 4m下の川の中」と書かれた案内板があります。
案内に従って下のほうを見ると大きな巨石や岩々が川の中にありました。
友人が下に降りて確認していましたが、どの石に足一つ印があるのか見つけられないままでした。
道路沿いから望む「足一の印岩」
【妻垣神社】:大分県宇佐郡安心院町妻垣203⇒[ Googleマップ ]
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「足一の印岩」の写真を借用しました。
ブロク「No.156 妻垣神社(一柱騰宮)のアカル姫と吾田の磐長姫(続)」に使用しています。
ご連絡ありがとうございます。
ブログ拝見させていただきました。
写真を活用していただきありがとうございます。
今は道が壊れて下まで降りられなくなっているのですね。
また時間ができましたら宮原さまのブログもゆっくりと拝見させていただきたいと思います。