2011年08月21日

【直入中臣神社】(大分県由布市)

大分県由布市庄内町阿蘇野に鎮座する【直入中臣神社】(なほりなかとみじんじゃ)

拝殿 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・直入中臣神(なほりなかとみのかみ)
  ┗武甕槌神(たけみかづちのかみ)
  ┗経津主神(ふつぬしのかみ)
  ┗天児屋神(あめのこやねのかみ)
  ┗比売神(ひめかみ)【天美津玉照比賣神(あめのみつたまてるひめのかみ)】 [天児屋命のお妃]
  ┗許登能麻遲媛神(ことのまぢひめのかみ) [天児屋命の御母]
  ┗天押雲根神(あめのおしくもねのかみ) [天児屋命の御子]
  

花牟礼山の南東麓をはしる県道621号線沿いにある中村バス停のすぐ近くの郵便局前に参道があります。

直入中臣神社の鎮座する阿蘇野は、往古、「柏峽大野」(かしはをのおほの)と呼ばれていたといいます。

第十二代 景行天皇 【大足彦忍代別天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)】が土蜘蛛討伐にあたり、戦勝を祈願された三神(志我神直入物部神、直入中臣神)のうちの、直入中臣神(なほりなかとみのかみ)を祀ったのが始まりとされ、創始の年代は詳しくはわかりませんが、第二代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)【神渟名川耳天皇(かむぬなかはみみのすめらみこと)】の御宇と伝える史書や説もあり、景行天皇が直入を訪れる以前より、直入中臣氏によって祭祀が行われていたという古社だといいます。

『日本書紀 卷第七』には。。。
景行天皇12年(82年)10月、天皇が九州征西の途中、豐後國速見郡に住む速津媛(はやつひめ)に「直入縣(なほりのあがた)禰疑野(ねぎの)に住む打猿(うちざる)・八田(やた)・國摩侶(くにまろ)」という土蜘蛛の情報を聞いて、征伐するため來田見邑(くたみのむら)【朽網郷】に入り、行宮(かりみや)を設けて群臣(まへつきみたち)と土蜘蛛を討つための議(はかりごと)をされました。そして賊を討とうと、次に柏峽大野(かしはをのおほの)を訪れて、そこにあった長さ六尺、廣さ三尺、厚さ一尺五寸の石に、天皇は祈って仰せになられました。「もし私が土蜘蛛を滅ぼすことができるならば、この石を踏むと柏葉のように舞い上がれ」と。
そうして石を蹶むと柏葉のように大虚(おほぞら)に舞い上がりました。
それで、この石は「蹈石(ほみし)と名付けられました。この時に祈った神は志我神(しがのかみ)直入物部神(なほりもののべのかみ)直入中臣神(なほりなかとみのかみ)の三神であると記されています。

天皇初将討賊。次于柏峡大野。其野有石。長六尺。広三尺。厚一尺五寸。天皇祈之曰。朕得滅土蜘蛛者。将蹶茲石。如柏葉而挙焉。因蹶之。則如柏上於大虚。故号其石曰蹈石也。是時祷神。則志我神。直入物部神。直入中臣神三神矣。
〜天皇(すめらみとこと)、初(はじ)めて賊(あた)を討(う)たむと、次(つぎ)に柏峽大野(かしはをのおほの)にいたりたまひき。其(そ)の野(の)に石(いは)(あ)り。長さ六尺。廣さ三尺、厚さ一尺五寸(ひとさかあまりいつき)、天皇、祈(うけ)ひ曰(まを)ししく。「朕(あ)、土蜘蛛(つちぐも)を滅(ほろぼ)すこと得(え)むは、將(まさ)に茲(こ)の石(いは)を蹶(くゑ)むに、柏葉(かしはば)の如(ごと)くして擧(あ)がらむ」因(よ)りて蹶(ふ)みたまひき。則(すなは)ち柏葉(かしは)の如く大虚(おほぞら)に上(あ)がりき。故(かれ)、其(そ)の石(いは)を號(なづ)けて蹈石(ほみし)と曰(い)ふなり。是(こ)の時(とき)に禱(の)みまをす神(かみ)は、則ち志我神(しがのかみ)、直入物部神(なほりもののべのかみ)、直入中臣神(なほりなかとみのかみ)の三神(みはしらのかみ)ぞ。〜
(『日本書紀 卷第七』より)

境内には、天皇が三神に祈ると柏葉のように舞い上がったという長さ六尺、廣さ三尺、厚さ一尺五寸の「蹶石(ほふみいし)と伝えられる石があります。



参道階段
参道鳥居.JPG
 

鳥居「石上大明神」
鳥居.JPG

直入中臣神社は、石を神としてお祀りしていることから、俗に「石上明神」・「石神明神」・「石明神」とも呼ばれているそうです。

  参道途中にある石碑
由緒碑.JPG
 直入中臣神土俗稱石上明神 
 景行天皇討賊土蜘蛛時而祷三神之一也


 〜直入中臣神(なほりなかとみのかみ)は土(くにびと)の俗(よ)
 石上明神と稱(い)ふ。
 景行天皇、土蜘蛛(つちぐも)の賊(あた)を討(う)たむ時(とき)
 して祷(の)みまをす三神(みはしらのかみ)の一(ひと)つなり。〜

                             (石碑より)



また『豐後國志』にもこう記されています。
直入中臣神祠 在朽網郷中野村 祭石爲神 今稱石神明神
〜直入中臣神祠(なほりなかとみのかみやしろ)。朽網郷(くたみのさと)中野村(なかのむら)に在(あ)り。石を祭(まつ)り神(かみ)と爲(な)す。今(いま)、石神明神と稱(い)ふ。〜


社殿(左)と蹈石(ほみし)(右奥)
直入中臣神社と蹈石.JPG



「蹈石」(ほみし)
蹈石.JPG


『豐後國風土記』にも「日本書紀」と同じような記述があり、また蹶石【蹈石】があることで、この地を「蹶石野」(くゑいしの)と呼んだということが記されています。

蹶石野。在柏原郷之中。同天皇。欲伐土蜘蛛之賊。幸於柏峡大野。野中有石。長六尺。廣三尺。厚壹尺五寸。天皇祈曰。朕將滅此賊。當蹶茲石。譬如柏葉而騰。即蹶之。騰如柏葉。因曰蹶石野。
〜蹶石野(くゑいしの)。柏原郷(かしはるのさと)の中に在(あ)り。同(おな)じ天皇(すめらみこと)。土蜘蛛(つちぐも)の賊(あた)を伐(う)たむと欲(おもほ)し、柏峡大野(かしはをのおほの)に幸(いで)ましき。野の中に石(いは)有り。長さ六尺(むさか)、廣さ三尺(みさか)、厚さ壹尺五寸(ひとさかあまりいつき)、天皇、祈(うけ)ひ曰(まを)ししく。「朕(あ)、將(まさ)に此(こ)の賊(あた)を滅(ほろ)ぼさむに。茲(こ)の石(いは)を蹶(ふ)むに當(あた)り、譬(たと)へば柏葉(かしはば)の如(ごと)くして騰(あ)がれ」即(すなは)ち蹶(ふ)みたまへるに、柏葉(かしはば)の如(ごと)く騰(あが)りき。因(より)て蹶石野(くゑいしの)と曰(い)ふ。〜
(『豐後國風土記』より)



御本殿
御本殿.JPG



御神木のアカガシ
御神木 (3).JPG

蹈石の右奥(手前の二本の木の奥)にあるのが御神木。
御神木がある場所は少し小高い丘になっていて、大小の石が御神木を囲むようにたくさんありました。往古は、これを神籬として信仰されていたのかもしれませんね。

直入中臣神社】:大分県由布市庄内町阿蘇野⇒[ MAPPLE地図 ]

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posted by miya at 19:46| 大分 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(大分県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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