≪御祭神≫
・大足彦忍代別天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)【景行天皇】
≪配祀≫
・建磐龍命(たけいわたつのみこと)
竹田市内から、国道57号線を熊本方面へ向かい、「道の駅すごう」手前の「石井交差点」信号を右折して約800m進むと右手に見えてきます。
『日本書紀 卷第七』によると、景行天皇12年(82年)10月、天皇が九州征西の途中、豐後國速見郡に住む速津媛(はやつひめ)に「直入縣(なほりのあがた)禰疑野(ねぎの)に住む打猿(うちざる)・八田(やた)・國摩侶(くにまろ)」という土蜘蛛の情報を聞いて、征伐するため來田見邑(くたみのむら)【朽網郷】に入り、行宮(かりみや)を設けて群臣(まへつきみたち)と土蜘蛛を討つための議(はかりごと)をされ賊を討滅されたといいます。
また、このとき兵たちを労(ねぎ)らわれたことにより、この地を「禰疑野」(ねぎの)と名づけたと『豐後國風土記』には記載されています。
禰疑野。在柏原郷之南。昔者纏向日代宮御宇天皇。行幸之時。此野有土蜘蛛。名曰打猨八田國摩侶等三人。天皇。親欲伐此賊。在茲野。勅歴労兵衆。因謂禰疑野是也。
〜禰疑野(ねぎの)。柏原郷の南に在(あ)り。昔は、纏向日代宮(まきむくひしろのみや)の御宇(あめのしたしろ)、天皇(すめらみこと)、行幸(いでまし)し時に、この野に土蜘蛛(つちぐも)あり。名(な)を打猨(うちさる)・八田(やた)・國摩侶(くにまろ)等(ら)と曰(い)ふ三人(みとり)なり。天皇、親(みずか)らこの賊(あた)を伐(う)たむと欲(おもほ)して。この野(の)に在(いま)し、勅(みことのり)して兵衆(いくさびと)を歴(あまね)く労(ね)ぎたまひき。因(よ)りて禰疑野(ねぎの)と謂(い)ふはこれなり。〜
(『豐後國風土記』より)
それから後の世の人が、この地に祠を建立して景行天皇の御霊をお祀りし「禰疑野大明神」と称したのがはじまりだといいます。
参道
拝殿
御本殿
また、付近には鬼巖屋、土蜘蛛塚、血田等、景行天皇親政の遺跡が多くあるそうです。
(省略)・・・又於直入県禰疑野。有三土蜘蛛。一曰打猿。二曰八田。三曰国摩侶。是五人並其爲人強力。亦衆類多之。皆曰。不從皇命。若強喚者。興兵距焉。天皇悪之不得進行。即留于来田見邑。權興宮室而居之。仍与群臣議之曰。今多動兵衆。以討土蜘蛛。若其畏我兵勢將隠山野、必為後愁。則採海石榴樹。作椎、為兵。因簡猛卒。授兵椎、以穿山排草、襲石室土蜘蛛。而破于稻葉川上。悉殺其黨。血流至踝。故時人其作海石榴椎之處曰海石榴市。亦血流之處曰血田也。復將討打猿。径度禰疑山。時賊虜之矢。横自山射之。流於官軍前如雨。天皇更返城原。而卜於水上。便勒兵、先撃八田於禰疑野而破。爰打猿謂不可勝、而請服。然不聽矣。皆自投澗谷而死之。
〜「(省略)・・・又(また)、直入縣(なほりのあがた)禰疑野(ねぎの)に、三(みとり)の土蜘蛛(つちぐも)有(あ)り。一(ひとり)を打猿(うちざる)と曰(い)ふ。二(ふたり)を八田(やた)と曰ふ。三(みとり)を國摩侶(くにまろ)と曰ふ。是(こ)の五人(いつとり)は並(ならび)に、其(そ)の人(ひととなり)強力(ちからつよ)く爲(し)て。亦(また)、衆類(ともがら)多(おほ)し。皆(みな)曰(い)ふ。『皇命(おほみこと)に從(したが)はじ』若(も)し、強(あなが)ちに喚(め)さば、兵(つはもの)を興(おこ)し距(はば)かむ」天皇(すめらみこと)、悪(あしみす)して進行(いでます)を得(え)ず。即(すなは)ち來田見邑(くたみのむら)に留(とど)まり、權(かり)に宮室(みや)を興(た)てて居(ゐま)す。仍(よ)りて群臣(まへつきみ)と議(はか)り曰(まを)ししく。「今(いま)、多(さは)に兵衆(つはもの)を動かし、以(もち)て土蜘蛛(つちぐも)を討(う)たむ。若(も)し其(そ)れ我(あ)が兵(いくさ)の勢(いきほひ)に畏(かしこま)れ、將(まさ)に山野(やまの)に隱(こも)れば、必(ふつく)に後(のち)に愁(うれへ)と爲(な)さむ。」則(すなは)ち海石榴(つばき)の樹(き)を採(と)り、椎(つち)を作(つく)り兵(いくさ)と爲(な)す。因(よ)りて猛(たけ)き卒(とものを)を簡(えら)び、兵(いくさ)の椎(つち)を授(う)く。以(もち)て山(やま)を穿(うが)ち草(くさ)を排(はら)ひ、石室(いはや)の土蜘蛛(つちぐも)を襲(おそ)ひて、稻葉(いなば)の川上(かはかみ)に破(やぶ)り。悉(ことごと)に其(そ)の黨(ともがら)を殺す。血(ち)流(なが)れて踝(つぶなき)に至(いた)る。故(かれ)、時(とき)の人(ひと)、其(そ)の海石榴椎(つばきのつち)を作(つく)る處(ところ)を海石榴市(つばきち)と曰(い)ふ。亦(また)、血(ち)流(なが)るる處を血田(ちた)と曰(い)ふなり。
復(また)將(まさ)に打猿(うちざる)を討(う)たむと、禰疑山(ねぎのやま)に度(わた)る。時(とき)に賊虜(あた)の矢(や)、横(よこしま)に山(やま)自(よ)りこれを射(い)る。官軍(みいくさ)の前(まへ)に流(きた)ること雨(あめ)の如(ごと)し。天皇(すめらみこと)、更(さら)に城原(きばる)に返(かへ)りて、水上(かはのほとり)に卜(ましま)す。便(すなは)ち兵(つはもの)を勒(ととの)へて、先(ま)づ八田(やた)を禰疑野(ねぎの)に撃(う)ちて破(やぶ)る。爰(ここ)に打猿、「え勝(か)つまじ」と謂(い)ひて服(したが)ふを請(まを)す。然(しかれ)ど聽(ゆる)さざる。皆(みな)、自(おのずか)ら澗谷(たに)に投(おち)て死(し)す。(『日本書紀 卷第七』より)
【禰疑野神社】:大分県竹田市大字今⇒[ Yahoo!地図 ]
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