2011年07月28日

【健男霜凝日子神社】(大分県竹田市)

大分県竹田市神原に鎮座する【健男霜凝日子神社 下宮(たけをしもごりひこじんじゃ しもみや)

健男霜凝日子神社.JPG

≪主祭神≫
 ・健男霜凝日子神(たけをしもごりひこのかみ)
≪配祀≫
 ・豐玉姫命(とよたまひめのみこと)
 ・彦五瀬命(ひこいつせのみこと)
 ・鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
 ・大太夫夫婦(だいだゆうめをと)【大神惟基(おほがのこれもと)・鵜目姫(うのめひめ)
 ・花乃本姫(はなのみもとひめ) [大神惟基の母君]
≪合祀≫
 ・大山祇神(おほやまつみのかみ)
 ・奧津彦命(おきつひこのみこと)
 ・奧津姫命(おきつひめのみこと)
 ・少名毘古那神(すくなひこなのかみ)
 ・猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)
 ・菅原道眞命(すがわらのみちざねのみこと)
 ・木花咲夜比賣命(このはなのさくやひめのみこと)
 ・大己貴命(おほなむちのみこと)
 ・面足尊(おもだるのみこと)
 ・惶根尊(かしこねのみこと)

大分県と宮崎県にまたがる祖母山(標高1756m)の北側の山中に鎮座しており、竹田市街地のほうから県道8号線を南西に下り、出合トンネルに入る手前の左の脇道に入って、300m先を左折して橋を渡ります。そのまま神原キャンプ場方面に向かって約6kmほど進んだ県道639号線沿いの右手に鳥居が見えてきます。
地図によっては、「嫗神社」「建男神社」と記載されています。


健男霜凝日子神社は、嫗嶽大明神(うばたけだいみょうじん)とも称し、祖母山頂に「上宮」、山中に「下宮」と「穴森神社」があり、山麓の神原集落に「遥拝所(神幸所)」があります。

「上宮」は神代の頃より祖母山(1756m)を御神体として山頂に鎮座し、健男霜凝日子神(たけをしもごりひこのかみ)を奉祀しています。
「下宮」は祖母山の北側のこの岩窟内にあり、創祀年代は不明ですが、白雉2年(651年)社殿が建立され、中世に豐玉姫命(とよたまひめのみこと)彦五瀬命(ひこいつせのみこと)が配祀されているそうです。
『延喜式』に≪直入郡 一座 小 健男霜凝日子神社≫と記される古社で、古来より晴雨風雪など天候の守護神として崇敬されています。


入口
鳥居・入口.JPG

ここからかなり長い階段を登って行きます。

階段参道.JPG 階段参道A.JPG

階段参道B.JPG

苔むした石階段がなんともいい感じです。

階段を登ってくると、まず嫗嶽稲荷社の赤い鳥居が見えます。

健男霜凝日子神社・鳥居.JPG


赤い鳥居の左手の奥の岩窟内に鎮座されているのが「健男霜凝日子神社」

健男霜凝日子神社C.JPG

健男霜凝日子神社A.JPG 健男霜凝日子神社B.JPG

昔はこの下宮が祭祀の中心だったといいます。
また、文禄3年(1594年)中川秀成公の入封後、歴代の岡藩主の崇敬をうけ、社殿の造営、社領の寄進があったそうです。


【健男霜凝日子神社】(左)と、境内社【嫗嶽稲荷社】(右)健男霜凝日子神社D.JPG

境内社の「嫗嶽稲荷社」(写真・右)は、古い時代より「正一位嫗嶽稲荷大明神」として遠近からの信仰が篤かったそうですが、社殿が無かったので、崇敬者の願意により昭和52年12月に社殿が建立されたといいます。


境内より
境内より.JPG

式内 健男霜凝日子神社(下宮)

当社は上宮、下宮、遥拝所ありて、上宮は神代より祖母山頂に鎮座し、健男霜凝日子神を奉祀す。下宮は当所岩窟内にありて、白雉二年社殿を建立す。中古豐玉姫命、彦五瀬命を配祭せり。
明治十二年十一月 県社に列せらる。
晴雨風雪等天候の守護神として近郷に信仰篤し。
(入口の社号標より)

健男霜凝日子神社】:大分県竹田市大字神原1822⇒[ Yahoo!地図 ]

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posted by miya at 15:38| 大分 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(大分県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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