≪御祭神≫
・椎根津彦命(しひねつひこのみこと) 【槁根津日子命(さをねつひこのみこと)/珍彦命(うづひこのみこと)】
≪合祀≫
・武位起命(たけいこのみこと) [椎根津彦命の御父]
・稻飯命(いなひのみこと) [神倭伊波禮毘古命(神武天皇)の御兄]
・祥持姫命(さかもつひめのみこと) [椎根津彦命の御姉、稻飯命の御妃]
・稚草根命(わかくさねのみこと) [祥持姫命の御子]
早吸日女神社の南約260mの神山に鎮座されていて、佐賀関漁港沿いを走る県道635号線より、北側にひとつ入った通路を歩いていると社号碑が見えてくるので、そこから通路を入って行くと鳥居があり社殿が見えてきます。
社号碑と参道入口 鳥居
鎮座の年代は不詳ですが、『古事記』によると。。。
神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)【神武天皇】御東遷の途路、御船が「速吸門」(はやすひなと)に到着した時、亀の甲に乗って釣りをしながら袖を羽ばたくように動かしながらやって来る人と遭遇したので、神倭伊波禮毘古命は、呼び寄せて「あなたは、誰か」また、「海道を知っているか?」と問いかけました。すると、「私は國神」「海道をよく知っている」と答えたので、「私に従いて仕えるか?」と問うと、「仕えましょう。」と答えたので、御船に引き入れ、名を賜い「槁根津日子」(さをねつひこのみこと)と名付けられたといいます。
故從其國上幸之時 乘龜甲爲釣乍 打羽擧來人 遇于速汲門 爾喚歸問之 汝者誰也 答曰 僕者國神 名宇豆毘古 又問 汝者知海道乎 答曰 能知 又問 從而仕奉乎 答曰 仕奉 故爾指度槁機 引入其御船 即賜名號槁根津日子 此者倭國造之祖
〜故(かれ)、その國(くに)より上(のぼ)り幸(いでま)しし時(とき)に、龜(かめ)の甲(せ)に乘(の)りて釣(つ)りをしつつ、打(う)ち羽擧(はふ)り來る人、速吸門(はやすひなと)に遇(あ)ひき。しかして喚(よ)び歸(よ)せ「汝(な)は誰(たれ)ぞ」と問(と)ひたまひしかば、「僕(あ)は國神(くにつかみ)ぞ」と答(こた)へ曰(まを)しき。また、「なは、海道(うみつぢ)を知(し)れりや」と問(と)ひたまひしかば、「よく知(し)れり」と答(こた)へ曰(まを)しき。また、「從(したが)ひて仕(つか)へまつらせむや」と問(と)ひたまひしかば、「仕(つか)へまつらむや」と答(こた)へ曰(まを)しき。かれしかして、槁機(さを)を指(さ)し渡(わた)し、その御船(みふね)に引(ひ)き入(い)れ、すなはち名を賜(たま)ひて、槁根津日子(さをねつひこ)と號(なづ)けたまひき。こは、倭國造(やまとのくにのみやつこ)等(ら)が祖(おや)ぞ。〜(『古事記 中卷』)
また、『日本書紀』では、「珍彦」(うづひこ)という御名で登場し、神倭伊波禮毘古命から賜った特別な御名を「椎根津彦」(しひねつひこ)といい、海路を案内する神として仕え、しばしば勲功をたてたといいます。
橿原宮に於いて、第一代天皇として即位され、皇紀元年と
なり、翌年の神倭伊波禮毘古命【神武天皇】2年(紀元前
659年)春2月、天皇は論功行賞を行い、椎根津彦命は
倭国造に任命されました。
これを伝え聞いた里人らがその後、小祠を建ててお祀り
したのが「椎根津彦神社」の創祀と伝えられています。
また、明治時代までは珍彦命という椎根津彦命の本名に
由来して「珍宮」と称されていたそうです。
現在でも、椎根津彦神社の周辺の地名を「神山」と呼び、社地は椎根津彦命の住居跡ともいわれているそうです。
拝殿
御本殿
上空を舞う鷹
椎根津彦神社 由緒
神武天皇は、大歳甲寅(西暦紀元前六六七年前)東遷の為、日向国を出発せられ、その年の十月、当地速吸の瀬戸に於いて、珍彦命(うづひこのみこと)の奉迎を受け、命に御名を椎根津彦と賜わる。
椎根津彦命は当地より、水先案内として皇軍に従軍し、屢々勲功をたて、建国の偉業達成の為に盡瘁せられた。
皇紀二年(西暦紀元前六五九年)春二月、天皇は論功行賞を行い、椎根津彦命を倭国造に任ぜられた。(日本書紀)これを伝え聞いた当地の里人たちが、小祠を建てて命を祀ったものがその創祀と伝えられる。(拝殿「由緒板」より一部)
【椎根津彦神社】:大分県大分市佐賀関神山1812⇒[ Yahoo!地図 ]
≪問い合わせ≫
早吸日女神社社務所
TEL:097-575-0341
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