2011年07月20日

【早吸日女神社】(大分県大分市)

大分県大分市佐賀関に鎮座する【早吸日女神社】(はやすひめじんじゃ)

早吸日女神社 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
 ・大直日神(おほなほひのかみ)
 ・底筒男神(そこつつのをのかみ)
 ・中筒男神(なかつつのをのかみ)
 ・表筒男神(うはつつのをのかみ)
 ・大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)


大分市から国道197号線を佐賀関に向かい、佐賀関半島に入る「金山交差点」を左折して県道635号線に入り、約550m進むと右側に「早吸日女神社」と案内があるので、そこを右折して少し進むとあります。


神代の昔、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が、「禊祓」をする場所を探して、雅御子鼻(わかみこばな)の田刈穂浦(たがりほうら)【現:大分市佐賀関大字古宮】を訪れ、潮の中に潜り、汚穢を濯き、高門岩【現:牛島】にのぼり、若御子神(わかみこのかみ)黒砂神(いさごのかみ)眞砂神(まさごのかみ)】の防衛をうけ、林を伐り地をはらって田刈穗浦(たがりほうら)に「速吸神」をお祀りになったのがはじまりと伝えられ、若御子神【黒砂神(黒濱神)、眞砂神(白濱神)】を称えて「速吸日女神」と呼ぶと『豐後國誌』は伝えています。

『日本書紀』にも、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が禊祓をされる場所を探されて、粟門(あはのみと)【愛媛県】と、速吸名門(はやすひなと)を訪れ、潮の流れがとても速かったため橘小門(たちばなのをど)【宮崎県】に帰還されて「禊祓」(みそぎはらへ)をされたとあります。
故欲濯除其穢惡 乃往見粟門及速吸名門 然此二門 潮既太急 故還向於橘之小門而拂濯也
〜故(かれ)、其(そ)の穢悪(けがらはしきもの)を濯(すす)ぎ除(はら)はむと欲(おもほ)して、乃(すなは)ち粟門(あはのみと)(およ)び速吸名門(はやすひなと)に往(ゆ)きて見(みそなは)す。然(しか)るに、此(こ)の二(ふたつ)の門(みなと)、潮(しほ)(すで)に太(はなは)だ急(はや)し。故(かれ)、橘小門(たちばなのをど)に還向(かへ)りたまひて、拂(はら)ひ濯(すす)きたまふぞ。〜
(『日本書紀 卷第一 神代上』より )

そして皇暦紀元前7年(紀元前667年)、神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)【神武天皇】御東遷の途路、速吸の瀬戸において、若御子神(わかみこのかみ)K砂神(いさごのかみ)眞砂神(まさごのかみ)】が、海底に住む大蛸により、長い間守護したきた伊邪那岐神の神剣を取り上げて天皇に献上し、この神剣を御神体とし、天皇御自ら雅御子鼻(わかみこばな)の田刈穂浦(たがりほうら)【現:大分市佐賀関大字古宮】に、祓戸神(はらへどのかみ)八十枉津日神大直日神底筒男神中筒男神表筒男神大地海原諸神】を祀り、建国の大請願をたてられたと伝えられます。

それから幾百年の時を重ねた大宝元年(701年)、神託によって現在の地に御遷座されました。


総門
神門.JPG
県指定有形文化財



鳥居
鳥居A.JPG

鳥居の正面に見えるのは、境内社「伊邪那岐社」

右手に進んで行くと「早吸日女神社」があります。

参道
境内.JPG



拝殿
早吸日女神社 (3).JPG
市指定有形文化財

社殿.JPG 拝殿A.JPG

鬼と龍と波                      竜宮城
龍 (2).JPG 竜宮城.JPG

浦島太郎
浦島太郎.JPG

拝殿は、宝暦13年(1763年)本殿と共に再建されたと伝えられてきたそうですが、嘉永3年(1850年)ともいわれているそうです。


御本殿
本殿.JPG
県指定有形文化財

御本殿.JPG 本殿 (2).JPG


御祭神の祓戸神のうち、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で、黄泉國(よもつくに)の汗垢(けがれ)を滌(すす)がれた【水中で身体を振って洗い清められた】時に、その汗垢(けがれ)に成った神で、禍(まが)そのものの神でもありますが、【禍】(まが/心の行いの曲がったこと・罪)によって起きる出来事【災禍】をとおして、人(動植物など自然にも)に示現し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く(禍を気づかせようとする)神です。

そして大直日神(おほなほびのかみ)は、伊邪那岐命の禍(まが)を直そうとして、その心に成った神で、【禍】(まが/心の行いの曲がったこと・罪)を見直したり、聞き直したりして、正しく直そうとする心に出現される神です。
人は、知らず知らず、また知っていて(少しくらいいいだろうなども)、曲がったこと(嘘・人のせい・驕り、秩序を乱す・法を犯すなど・・・etc)を犯していたりするものですが、その曲がった心の行い・罪を、根底から見直したり、聞き直したりして、正しい方向に「直そうという心」に発動する「偉大な」神になります。

また、底筒男神(そこつつのをのかみ)中箇男命(なかつつのをのみこと)表箇男命(うはつつのをのみこと)は、さらに水底・水中・水上で滌(すす)がれた時にそれぞれ出現された神で、三柱で「墨江之三前大神(すみのゑのみまへのおほかみ)」また「住吉大神(すみよしおほかみ)」といわれます。
「江田神社」参照)

雲 (3).JPG



御神水
御神水.JPG
御本殿左の裏手にある御神水



≪境内社≫
【伊邪那岐社】・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
【若御子社】・黒砂神(いさごのかみ)眞砂神(まさごのかみ)
【歳神社】・大年神(おほとしのかみ)御年神(みとしのかみ)
【天然社】・源維城敦仁親王(みなもとのこれざねあつひとのみこ=醍醐天皇)
【木本社】・椎根津彦神(しいねつひこのかみ)
【相殿社】・健磐龍神(たけいわたつのかみ)武内宿禰神(たけうちのすくねのかみ)
【生土社】・埴安神(はにやすのかみ)
【稲荷社】・保食神(うけもちのかみ)
【神明社】・天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)
【天満社】・菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
【厳島社】・市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)
【恵比寿社】・事代主神(ことしろぬしのかみ)
【佐賀関護国神社】・護国の神霊(当地出身)

≪創祀≫
皇暦紀元前七年(西暦紀元前六六七年)
≪由緒≫
当社は、人皇初代神武天皇東遷の途次、海女、黒砂(いさご)・真砂(まさご)の二神が速吸の瀬戸の海底から大蛸が守護してきた神剣を取り上げて天皇に奉献し、その神剣を御神体として天皇御自ら古宮の地に奉斎し建国の大請願をたてられたのが創祀である。
大宝元年(七〇一年)、神慮によって現在の地に遷座、延長五年(九二七年)、朝廷、延喜式を制定するに当り式内社に列せられ、爯来、諸災消除、厄除開運の神として皇室を始め諸大名の崇敬厚く、遠近の諸人も伊勢神宮になぞえて関大神宮又お関様(関権現)とも称し、伊勢神宮に参拝することを参宮、当社に参詣することを半参宮ととなえ、多くの信仰をあつめて今日に及ぶ。
慶長五年(一六〇〇年)、兵火により社殿、宝物一切を焼失したが、慶長七年、加藤清正候当地を領するに当り社殿を再建、後の藩主細川候の再建修築に係る建造物多数現存、昭和四十八年社殿修築、社務所、参集殿新築工事竣工により神社の荘厳さを更に加える。
平成十六年三月、本殿、総門、及び当社社家(小野家住宅)の三件、大分県指定有形文化財となる。
(由緒板より一部)

早吸日女神社(速吸日女神社)】
〒879-2201
大分県大分市大字佐賀関3329⇒[ Googleマップ ]
TEL:097-575-0341
FAX:097-575-0341
ホームページ⇒http://www.hayasuihime.biz-web.jp/

大分のホテル・宿予約は≪じゃらん≫

大分を満喫!おすすめプラン満載♪
大分のホテル予約は【JTB】

大分のホテルを24時間予約可能♪
posted by miya at 22:05| 大分 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(大分県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。