2011年07月14日

【西寒多神社】(大分県大分市)

大分県大分市大字寒田に鎮座する【西寒多神社】(ささむたじんじゃ)

社殿@.JPG

≪主祭神≫
 [正面] 
  ・西寒多大神(ささむたおほかみ)【天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)
 [左相殿]
  ・月讀大神(つくよみのおほかみ)
 [右相殿]
  ・天忍穗耳大神(あめのおしほみみのおほかみ)
≪相殿≫(殿内所在諸神)
  ・伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)
  ・伊弉册大神(いざなみのおほかみ)
  ・大直日大神おほなおびのおほかみ)
  ・神直日大神(かむなほびのおほかみ)
  ・天八意思兼大神(あめのやこころおもひかねのおほかみ)
  ・大歳大神(おほとしのおほかみ)
  ・倉稻魂大神(うかのみたまのおほかみ)
  ・軻遇突智大神(かぐつちのおほかみ)
≪相殿≫
  ・應神天皇(おうじんてんのう)【品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
  ・神功皇后(じんぐうこうごう)【息長帶比賣命(おきながたらしひめのみこと)
  ・武内宿彌命(たけうちのすくねのみこと)

国道10号線の「寒田団地入口」信号を約300m南に下った寒田川に架かる橋の手前を右折し、南西に約2km進んだ所に鳥居が見えてきます。

『西寒多神社縁起』によりますと・・・

息長帶比賣命【神功皇后】2年(202年)10月、皇后が三韓出兵より帰還される途中、西寒多山【現:本宮山】を訪れ、国家を叡覧された時、その証として一本の白旗を立て置きました。土地の人は、これを敬い籬垣(ませがき)を結んで尊崇していたといいます。

その後の應神天皇9年(278年)4月、天皇は武内宿彌(たけうちのすくね)に豐後國への下向を命じて、天照皇大神月讀大神天忍穗耳大神の三柱(みはしら)の神を祀る社殿を、西寒多山【本宮山】の頂に建立しました。

継体天皇21年(528年)、國中に新羅(しらぎ)を討とうとする騒動【磐井の乱(いわいのらん)】があり、この時、土地の人は信心を怠り参詣を断ってしまい、社殿は大破するほどになっていましたが、卜部氏(うらべうぢ)と與巨勢氏(よこせうぢ)によって再興されました。

敏達天皇2年(572年)9月15日、西寒多山の南に幡(はた)のような赤白の八雲(やぐも)があらわれ、西寒多山の樟(くすのき)の梢(こずえ)には、三つの星が現れて光を放っていました。
この時老人が「この霊妙は尊い神である。どうして参詣しないでいるのか。」と教え、自ら七日の潔斎をして西寒多山に登り、幣(みてぐら)を捧げ奉り國中の貴賤の群衆を作って恭しく敬い礼拝したといいます。

さらに、11月にも西寒多山に同一の現象があり、西寒多山の頂に石を立て「寶殿」として敬うようになったそうです。

その後の應永15年(1408年)3月、大友親世(おおともちかよ)によって西寒多山の頂から麓の現在地に遷座されました。
また、同年大野郡に鎮座していた西寒多神社を、大友親世が大分郡植田(現:寒田)に移し、合せ祀ったともいいます。
現在も、西寒多山(本宮山)には奥宮として社殿が鎮座しているそうです。


西寒多山(本宮山)の上空に現れた帯(幡)のように棚引く「彩雲」
彩雲 (2).JPG



西寒多神社の入口を流れる寒田川に架かる「万年橋」(まんねんばし)
万年橋より.JPG 万年橋 (3).JPG
大分県指定有形文化財

文久2年(1862年)に寒田村の庄屋らが発起し、大野郡柴北村(現:大分県豊後大野市犬飼町)の石工2代目後藤郷兵衛らによって竣工したそうです。橋長は22.0m、橋幅は3.7m。


参道と鳥居
鳥居.JPG


社殿
社殿 A.JPG

拝殿
拝殿 @.JPG 社殿C.JPG



御本殿と瑞垣
瑞垣と本殿.JPG


木漏れ日
木漏れ日.JPG


招霊の木
招霊の木.JPG



藤棚
藤の木.JPG

西寒多神社は、藤の名所としても有名で、万年橋の横には樹齢約470年といわれる藤(大分市天然記念物)があり、4月中旬から5月上旬にかけて薄紫色の房状に垂れ下がったいい香りの花を咲かせて、人々を出迎えてくださります(^^)

何度か参拝させていただいておりますが、写真を撮った時は、ちょうど花が終わった新緑の季節でしたので、写真を載せられなかったのが残念です。


彩雲
彩雲.JPG

最初に参拝させていただいた時に、ちょうど西寒多山の上空に虹色に棚引く「彩雲」が現れて出迎えて下さりましたぴかぴか(新しい)
見たままの鮮やかさが撮れなかったのが残念です(^^;)

創祀は遠く応神天皇九年四月に武内宿禰勅命を奉じて西寒多山(本宮山)山上に宮殿を建立すとあり延喜式内の大社として国司をはじめ武将の信仰あつく、特に大友能直公、宗麟公をはじめ代々の崇敬厚く応永十五年(一四〇八年)三月、大友親世公社殿を現在地に遷し、家内安全、婚姻、学問、農業、食物、厄除、交通安全、消防の守り神として国民の崇敬いよいよ深く、明治四年五月十四日国幣中社に列格、豊後の国の一の宮として皇室及び国家の優遇を受け宝物として宗麟愛用の印章四個、大友能直、織田信長、豊臣秀吉、徳永家康の古文書を有し、現在別表神社として崇敬をあつめている。
(御由緒板より)

西寒多神社】:大分県大分市大字寒田1644 ⇒[ Googleマップ ]
TEL:097-569-4182

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posted by miya at 16:45| 大分 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(大分県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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