≪主祭神≫
・素戔鳴尊(すさのをのみこと)
≪相殿≫
・保食神(うけもちのかみ)
・吾勝尊(あかつのみこと)
JR直方駅より南東約3Kmの所に鎮座しています。
行き方は、国道200号バイパス線の「下境」信号を南に約450m下った所を左折し、すぐを右折、約60m先を左斜めに進んで行くと約120m先に鳥居が見えてきます。
今からおよそ1370年前の第34代舒明天皇(じょめいてんのう)の御代(7世紀前半)岩熊麻呂が神憑を蒙り、この地に素戔鳴尊(すさのをのみこと)をお祀りし「武徳神社」と号したのが、始まりだといいます。
その後の貞観15年(873年)には社号を「祇園神社」と改め、境郷の総鎮守として、人々の尊崇を集めてきたそうです。
明治以降、社名を「須賀神社」と改め、現在にいたります。
また、貞観3年(861年)4月7日の夜、隕石が武徳神社(現:須賀神社)の御神域に落下し、翌日に深くえぐられた土中から黒く焦げた石が掘り出され、桐箱に納めて保存したという記録が残っているそうで、目撃記録を伴う世界最古の隕石として、境内には「直方隕石之碑」が建てられています。
隕石は現在も須賀神社に保管されていて、5年に一度の10月の神幸大祭の時に一般公開されるそうです。
入口参道
参道と鳥居
神門より
社殿
拝殿の左右には恵比須さまと大黒天さまの像
御本殿
世界最古 直方隕石之碑
世界最古 直方隕石之碑
「平安時代の始め、貞観三年(861年)四月七日の夜、境郷一帯が突然真昼の明かさにも増して光り輝いたかと思うと、本社境内で激しい爆発音がおこりました。
翌日、深くえぐられた土中から黒く焦げた石を掘り出し、天から飛来した石として丁寧に桐箱に納めて保存したということです。」
このような伝承と共に今に伝えられてきたのが須賀神社(岩熊家)の直方隕石であります。
昭和五十六年、国立科学博物館の理化学研究部長・村山定男氏等の鑑定により、それまでの世界記録を六三〇年も上回る「目撃記録を伴う世界最古の隕石」として確認されましたが、このことは、とりも直さず当須賀神社の歴史の古さを物語るものであります。(直方隕石案内石碑より)
八重桜
須賀神社御由緒
当社は、今からおよそ一、三五〇年前の舒明天皇の御代(七世紀前半)岩熊麻呂が神憑を蒙りこの地に素戔鳴尊をお祀りし、武徳神社と号したのが、その始まりであります。
その後貞観十五年(八七三年)には社号を祇園神社と改めましたが、境郷の総鎮守として、人々の尊敬最も篤く、神仏習合の社として近郷の人々の信仰の中心として永く尊崇を集めてきました。
その間貞観三年(八六一年)には、当神域に隕石の落下を見たり、建武三年(一三三六年)には建武の板碑の建立があるなど数々の歴史を閲してきたのであります。
明治以降は、社名も須賀神社と改まり神苑も拡張され、桜の名所としても賑わいを見せてきました。御神徳は、国家安泰 家門繁栄 無病息災 開運厄除 五穀豊穣 商売繁昌 学業成就等広きにわたり、人々の生活と安全を守護し給うているのであります。(境内案内石碑より)
【須賀神社】:福岡県直方市大字下境1244⇒[ MAPPLE地図 ]
直方・北九州のホテル・宿予約は≪じゃらん≫
直方・北九州を満喫♪おすすめプラン満載♪
破魔矢を買いましたが絵馬が付いてません
付いて無いのでしょうか?
神社によって絵馬がついてるところと、ついてないところ、また両方おいてるところもありますよ(^^)
直方は地元ではないのでわかりませんが、気になるのでしたら直接須賀神社の宮司さんに聞かれてみるのがいいと思います(^^)