≪主祭神≫
筑紫宮(つくしのみや)
・白日別神(しらしわけのかみ) [筑紫国の国魂神]
・五十猛尊(いそたけるのみこと) [素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御子神]
寶滿大神(ほうまんおほかみ)
・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
田村大神(たむらおほかみ)
・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと)
JR原田駅の西にある「JR原田駅入口」信号を左折し、北に約500m進み「筑紫神社東」信号を左折して、約100m先の右側に鎮座しています。
創祀の年代は詳しくはわかりませんが、筑紫(つくし)【現:福岡県[一部除く(※1)]】の国号の起源の説話が伝わる由緒ある古社だといいます。
また、当初は「城山(きやま)」(福岡県筑紫野市大字筑紫字城山)の山頂に鎮座していましたが、後世に麓の現在地に遷座されました。
筑紫の語源について『 「釋日本紀 卷五」筑後國風土記 逸文 』には、このようにあります。
筑後國(つくしのくに)は、もともと、筑前國と(筑後國を)合わせて一國でした。
昔、この両國(筑前國・筑後國)の境界の山に、険しく狭い坂があり、往来する人の馬の鞍を摩擦し尽くしました。それで土地の人はそこを「鞍尽之坂」(したくらつくしのさか)といいました。
昔、この険しく狭い國境に、麁猛神(あらぶるかみ)がいて、往来する人の半分が生き、半分が(遭難したり下に落ちたりして)死にました。その数は極めて多かったので、「人の命、尽神(つくしのかみ)」といっていました。
この時、この「麁猛神(あらぶるかみ)」を鎮めようと、筑紫君(つくしのくにのきみ)と肥君(ひのくにのきみ)たちが占いをして、今の筑紫君たちの祖先の甕依姫(みかよりひめ)を祭主として神を祭祀しました。それ以降は、道を行く人は、(麁猛)神の被害にあわなくなったといいます。それで「筑紫神」と呼びました。
また、その死者を埋葬するため、この山の木を伐採して棺輿を造作しました。これによって、山の木を伐採し尽くそうとしていました。よって、「筑紫國」といいます。後に両國を分置して、筑前國、筑後國となりました。
筑紫国は、このように「鞍を摩り尽(つく)す」「人の命、尽(つくし)の神」「山の木を伐り尽(つく)す」というように、何々し「尽くし」てしまうことが多かったことで、『つくしのくに(筑紫国)』というようになったと言います。(この「つくし」が訛り、現在の「ちくし」になったといいます。)
そして、険しく狭い国境にいた「麁猛神(あらぶるかみ)」の奇異を鎮めるために、筑紫国の国魂の『白日別神』(しらひわけのかみ)と、その険しく狭い国境で亡くなった多くの死者の棺輿を作るため山の木を伐り尽くそうとした「つくしの国」に、杉や樟・槙など山の木の種子を撒いて沢山にする神の『五十猛尊』(いそたけるのみこと)が一緒に祭られたのではないのでしょうか。
御祭神の「白日別神」(しらひわけのかみ)は、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)の「国生み」により生まれた筑紫島(九州)の中の四つの國のひとつである「筑紫国」(筑前国・筑後国)そのものの国魂(土地・産土)の神です。
『古事記』にはこう書かれてあります。
次生 筑紫嶋 此嶋亦身一而有面四 毎面有名 故筑紫國謂白日別 豐國謂豐日別 肥國謂建日向日豐久士比泥別 自久至泥以音 熊曾國謂建日別
〜次に筑紫嶋(つくしのしま)【九州】を生みたまひき。此(こ)の嶋も身一つにして面(おも)四つあり。面(おも)ごとに名あり。故(かれ)、筑紫國(つくしのくに)を白日別(しらひわけ)と謂(い)ひ、豐國(とよくに)を豐日別(とよひわけ)と謂ひ、肥國(ひのくに)を建日向日豐久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と謂ひ、熊曾國(くまそのくに)を建日別(たけひわけ)と謂ふ。〜
また、五十猛尊(いそたけるのみこと)は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御子神ですが、新羅(しらぎ)の曾尸茂梨(そしもり)という所から持ち帰った山の木の種子を『筑紫』から撒いて大八州国(日本全国)の山々を木々で沢山にした・・・と伝えられています。
鳥居と参道階段
神門
社殿
拝殿
左より神額「寶満大神」「筑紫宮」「田村大神」
社殿 御本殿
樹の根
地を張り巡らす樹の根が美しいです
【五所神社】
≪御祭神≫
・須佐之男命(すさのをのみこと)
・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
・菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
・伊耶那岐大神(いざなぎのおほかみ)
・少名彦名命(すくなひこなのみこと)
【稲荷神社】
≪御祭神≫・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【猿田彦大神】と石碑
≪御祭神≫・猿田彦大神(さるたひこおほかみ)
他柱
これは・・・天の磐船(鳥船)でしょうか。。。?
『「釋日本紀 卷五」筑後國風土記 逸文』より
筑後國者。本與筑前國。合爲一國。昔。此兩國之間山。有峻狹坂。往來之人。所駕鞍。被摩盡。土人曰鞍盡之坂。三云。昔。此堺上。有麁猛神。往來之人。半生半死。其數極多。因曰人命。盡神。于時。筑紫君肥君等占之。今筑紫君等之祖甕依姫。爲祝祭之。自爾。以降。行路之人。不被神害。是以曰筑紫神。四云。爲葬其死者。伐。此山木。造作棺輿。茲因。山木欲盡。因曰筑紫國。後分兩國。爲前後。
〜筑後國(つくしのみちのしりのくに)は、本(もと)、筑前國(つくしのみちのくちのくに)と合はせて一國(ひとつのくに)と爲(な)しき。昔、此(これ)の兩(ふたつ)の國(くに)の間(ま)の山(やま)に、峻(けは)しく狹(さ)き坂(さか)有(あ)り。往(ゆ)き來(きた)る人、駕(の)れる鞍(くら)を摩(す)り盡(つく)被(さ)れき。土人(くにのひと)鞍盡之坂(したくらつくしのさか)と曰(い)ひき。三に云(い)ふ。昔、此の堺(さかひ)の上に、麁猛神(あらぶるかみ)有りき。往(ゆ)き來(きた)る人、半(なか)ば生き半(なか)ば死(まか)りき。其の數(かず)極(いた)く多(さは)なりき。因(よ)りて人(ひと)命(いのち)、盡神(つくしのかみ)と曰(い)ひき。この時に、筑紫君(つくしのくにのきみ)肥君(ひのくにのきみ)等(ら)占(うらな)へて、今の筑紫君(つくしのくにのきみ)等(ら)が祖(おや)甕依姫(みかよりひめ)を祝(はふり)と爲(な)して祭(まつ)る。それより降(のち)を以(もち)ては、路(みち)行(ゆ)く人、神(かみ)の害(わざはひ)に被(あ)はず。是(これ)を以(もち)て筑紫神(つくしのかみ)と曰(い)ふ。四に云(い)ふ。其(そ)の死(まか)りし者(もの)を葬(はぶ)らむと爲(し)て、此(これ)の山の木を伐(き)り棺輿(ひとき)を造作(つく)りき。茲(こ)れに因(よ)りて、山の木を盡(つく)欲(さむ)と爲(し)き。因(より)て筑紫國(つくしのくに)と曰(い)ふ。後(のち)に兩(ふた)つの國(くに)に分(わ)かち、前(みちのくちのくに)、後(みちのしりのくに)と爲(な)す。〜
白日別神(しらひわけのかみ)は、筑紫嶋(つくしのしま)【現:九州】が生まれた遥か遠い神代の昔より、筑紫国(つくしのくに)【現:福岡県[一部除く(※1)]】の国魂としてこの土地に住む人々・動植物などたくさんのものを見守り鎮まっておられます。
(※1)・・・北九州市門司区・小倉北区・小倉南区・八幡東区の東部・田川市・田川郡・行橋市・京都郡・豊前市・築上郡は、「豊国(とよくに)」になります。
【筑紫神社】(ちくしじんじゃ):福岡県筑紫野市原田2550⇒[ Yahoo!地図 ]
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