2009年12月21日参拝
太宰府天満宮より、北東約2kmの霊峰・宝満山の麓に鎮座する【竈門神社】(かまどじんじゃ)
≪御祭神≫
・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
・応神天皇(おうじんてんのう)
・神功皇后(じんぐうこうごう)
竈門神社は古くから桜の名所、紅葉の名所として広く知られ、縁結び・方除・厄除の神として、たくさんの方がご参拝に訪れます。
また宝満山は古くは「竈門山」「御笠山」とよばれ、山頂には【上宮】があり、中腹には明治の廃仏毀釈まで、講堂・神楽堂・役行者堂・鐘楼などを備えた【中宮】があったそうですが、今は跡だけが残っているそうです。
この時もちょうど宝満山から下山して来た方々が参拝されていました。
妹も身重でお腹が大きいなか登った山の一つで、「とても素晴らしい山だから一回は登ってみたほうがいいよ!」と教えてくれました(^^)
どんだけタフな妹かわかりませんが(笑)
そんな妹は、臨月まで神山と言われる山々を登り歩いていましたけど(^^;)
さて、こちらも壱岐に行くちょっと前(2009年11月16日)に行かせていただきましたが、暗い中での参拝になってしまったので写真を撮ることができませんでしたが、今回はバッチリとそのお姿を見ることができました(^^)
参道入口
参道と裸樹
この時は、紅葉が散ったあとだったので寂しい感じはしますが、私はこういった裸樹が好きだったりします(^^)
「神額」
天智天皇の御代、今から1300年以上も昔、九州一円を
統治する大宰府政庁が現在の都府楼(とふろう)跡の地に
遷された時、鬼門に当たる竈門山(宝満山)に、大宰府
鎮護(鬼門の守り)のための神が祀られました。
さらに天武天皇2年(673年)には、心蓮(しんれん)上人が
この山に籠って修業中に玉依姫命(たまよりひめのみこと)が
現れたことにより、朝廷によって社殿(上宮)が創建された
のが「竈門神社」のはじまりと伝わります。
以来、大宰府官人のご崇敬は厚く、公の祭祀が行なわれ
「延喜式」に【明神大社】(みょうじんたいしゃ)として記載されています。
戦国時代に入って社殿は度々の兵火に焼かれましたが黒田長政が筑前藩主となって再築されました。
現在の社殿は昭和6年(1931年)に造営されたものだそうです。
社殿
また【筑前國続風土記】には、こういった記述があります。
『古記に曰ふ。延喜11年辛巳6月21日、八幡大神の託宣に、吾 穂波郡の大分宮に移住後、三悪(みつのいみ)あり。
一には竈門宮は、我 伯母にておはします。・・・然に、年中節會に、府官以下、國司 雑司の参り來る間、愚暗な輩、或は馬に乘ながら遙拝し。或は笠をきて御前を渡る。是甚(これはなはだ)恐(おそれ)あり。 二には・・・ 』
と、八幡大神が、私が伯母のように親しんでいる玉依姫命が竈門宮(竈門神社)にはいらっしゃるのに、年中行事の時、太宰府から府官以下、国司・雑司が、竈門神社の御前を通り大分宮(現:飯塚市大分の大分八幡宮)に参詣して来る間、竈門神社の御前を愚かな者は、馬に乗ったまま遙拝したり、笠をかぶったまま渡っていったりする。これはとても恐れ多いことだ。。。と嘆いていることが記載されています。
社殿の左前にある「水鏡」
手水所で身を清めたあと、この水鏡に顔をうつしてお祈りすれば願いがかなうという信仰があるそうです。
社殿の左側には、写真はありませんが、境内社【夢想権之助社】があります。
杖道の奥義を悟り「神道夢想流」の祖となった夢想権之助(むそうごんのすけ)をお祀りしています。
夢想権之助は、剣豪、宮本武蔵(みやもとむさし)と立会い敗れた後、この宝満山の竈門神社に祈願し修行後ついに悟りを開き、再び立会い宮本武蔵を破った・・・とされている有名な剣客だそうです。
●境内社【須佐神社】
≪御祭神≫
・須佐之男命(すさのをのみこと)
・須佐之男命(すさのをのみこと)
伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で、禊祓(みそぎはらひ)された時に、御鼻を滌がれた時に出現された須佐之男命(すさのをのみこと)をお奉りしています。
天照大神(あまてらすおほかみ)・月讀命(つくよみのみこと)と供にもっとも重要な三柱の貴子『三貴子』(みはしらのうづのみこ)といわれます。
また、須佐之男命は、八俣大蛇(やまたのをろち)から 櫛稲田姫(くしなだひめ)をお救いになり結婚されたことでも有名で、暴風雨・嵐・疫病・農業の神、また愛・知・勇の英雄神でもあります。
●境内社【五穀神社】
≪御祭神≫・五穀(米・粟(あわ)・稗(ひえ)・麦・豆)の豊穣と殖産増幅の守護神。
案内板に。。。
農作物に限らず、ただ種子が机上にあるのみでは、増産も発展もありません。
それを発芽させるためには、先づ種子を大地におろし、水をかけ、太陽の暖かい恵み(神の恵みと人間の努力)によって、万有生成の道が開けるのではないでしょうか。
自分の目的(種子)を大地におろして万物を育て養う神様の恵みに感謝申し上げるその祈りが幸福を産む力に展開されるものと信じます。
と、とても深いことが書かれています。
ありがとうございます(^人^)
境内にある滝
2012/09/04
さて、このあとは「宗像大社 辺津宮」へ向かいます
【寳満宮竈門神社(ほうまんぐうかなどじんじゃ)】
≪祭神≫・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
≪相殿≫・神功皇后(じんぐうこうごう)・応神天皇(おうじんてんのう)
≪霊験≫・縁結び・安産・雨乞・方除・交通航海安全
≪大祭≫・十一月十五日
御祭神は神武天皇の御聖母玉依姫命であります。命は、海神の女(おんむすめ)で、鵜鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の妃となり、五瀬命・神武天皇等四柱の御子を産まれた後御子の教養と建国の大業に心をくだきこのかまど山に登られて祈念されたと伝えられています。
降って天智天皇の御代都府楼(大宰府政庁)を建てられるに当ってかまど山は鬼門にあたるので勅使を派遣して厳かに祭祀を行なわせ都府楼の守護神とされ、ついで天武天皇白鳳2年(673年)に神殿を創建されたのが当社のはじまりで以来皇室の御信仰も篤く延喜式神名帳に名神大社にに列するとあり、白河天皇の御代から九州二島の神と崇められました。
戦国時代に入って社殿は度々の兵火に焼かれましたが黒田長政が筑前藩主となって再築されました。
明治維新後は村社となっていましたが明治26年官幣小社に昇格して昭和20年までその社格を保ってきました。
お社は上宮・下宮に分かれ上宮は宝満山頂(868m)の大磐石の上に鎮座されています。現在の社殿(下宮)は昭和初年に造営されました。
古歌に 「春は萌え 秋は焦がるるかまど山 霞も霧もけぶりとぞみる」清原元輔
と歌っているほどの名山であります。−由緒板より−
【竈門(かまど)神社】
〒818-0115
福岡県太宰府市内山883 ⇒[ 地図 ]
TEL・FAX:(092)922-4106



