2010年02月04日

【鏡神社】(佐賀県唐津市)

下関市、門司市の神社巡りから2週間後の休みの12月8日。

この日は長崎県壱岐島に向けて出発ということで、唐津東港より10:20出航の第2便に間に合うように、朝4:30に家を出ましたダッシュ(走り出すさま)

ちょっと早すぎですが、フェリーに乗る前に三ヶ所の神社を回らないといけないので、これでも遅かったほうだと後で気づかされるのです・・・(^^;)

まず、日田市の日田インターから高速に乗り 佐賀県の多久インターで降ります。

そこから向かったのは唐津市の虹の松原、鏡山の西麓に鎮座する鏡神社
一ノ宮【鏡宮】(南向き)
≪御祭神≫
 ・息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)【息長足姫命・神功皇后】

二ノ宮【板櫃宮】(東向き)
≪御祭神≫
 ・大宰少貳藤原広嗣朝臣(だざいのしょうにふじわらのひろつぐあそん)【藤原広嗣】
「藤原広嗣の乱」により藤原広嗣が当地で処刑された10年後の天平勝宝2年(750年)、肥前国司に左遷された吉備真備(陰陽道の始祖)により、広嗣を祀る二ノ宮が創建されました。


鏡神社、鏡山は、古来、「鏡の宮」・「松浦(まつら)の宮」とよばれ、神功皇后が三韓征伐の時に、鏡山の頂上に天神地祇を祀る祠を建て、戦勝を祈願をして鏡を納めると、その鏡が霊光を発したので、神功皇后が自ら斎主となり、自らの魂を鏡に込めて祀ったのが始まりと伝えられています。
(それで、その山を鏡山といい、神社を鏡神社というそうです)

また、三韓征伐の帰途、神功皇后がこの地で激しい陣痛に襲われ、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地にて無事に応神天皇を産みました。
このことから安産の霊験もあるとされ、境内には「安産・長寿の霊水」があります。

鳥居を入ると、正面が二ノ宮【板櫃宮】になっているので、神功皇后がいらっしゃる一ノ宮【鏡宮】がどちらにあるのか一瞬迷ってしまいましたが、右側にありましたので、急ぎ足で息長帯比賣命(神功皇后)に御挨拶(^人^)
二ノ宮の大宰少貳藤原広嗣朝臣にも御挨拶(^人^)

鏡神社の境内には、『源氏物語』玉鬘の巻で大夫監が玉鬘へ詠んだ
君にもし 心たがはば松浦(まつら)なる 鏡の神を かけて誓はむ
という歌碑もあります。

また、『紫式部日記』には、紫式部が筑紫の肥前の松浦にいる女友達に送った・・・
あひ見むと 思う心は 松浦(まつら)なる 鏡の神や そら似見るらむ
その友達からの返事の和歌・・・
行きめぐり 逢ふを松浦(まつら)の鏡には 誰(たれ)をかけつつ 祈るとか知る
と、その名があります(^^)

さて、写真も撮る暇なく、続いて長崎県松浦市の「淀姫神社」に向かいますダッシュ(走り出すさま)

【鏡神社】:佐賀県唐津市鏡⇒[ 地図 ]
ラベル:神社 佐賀県
posted by miya at 00:00| 大分 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(佐賀県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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