【妙見神社】(みょうけんじんじゃ)
社号の別称 大恩智 妙見宮 ・ 北面山 妙見宮
≪御祭神≫
・天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)
・天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)
天之御中主神は、天と地が初めて分かれた時、高天原(宇宙)に現れた最初の神です。
次に現れた高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かむむすひのかみ)とともに「造化三神(ぞうかさんしん)」といわれ万物造化の先駆けとなった神さまです
「妙見信仰の由来」
御鎮座は、今から1300年を遡る大宝元年(701年)文武天皇の御代と伝えられ、妙見信仰発祥の時代で、また日本の文化が大陸からもたらされた時期であり、その交流の場となり活躍した人達の信仰から生まれたのが創祀の起源と考えられる。
妙見さまとは、北辰妙見の菩薩の略号である。北辰・北斗の星辰信仰として中国から伝来した菩薩で奇瑞の霊徳を示現する神、妙見と号された。この神を祭れば災厄を免ぬかれ長寿富貴に恵まれると云われ、古く奈良から平安時代にかけて庶民の間に親しまれ、延暦年間には熱烈な信仰が記録されている。(由緒板より)
この妙見神社に着くと、たくさんの鷹がすぐ頭上を飛び回っていて驚きました
天之御中主大神の御使いなのかもしれませんね(^^)
鳥居
鳥居をくぐりまず迎えてくれるのが、亀?龍?犬?・・・と狛犬たち
左側(吽) 右側(阿)
顔は龍?身体は亀
亀?
顔は乙女チックなまつげがある犬(^^)?体は亀・・・
小さな狛犬たち
拝殿前の狛犬
社額
社殿
さて、そろそろフェリー出航の時間が近づいて来たので唐津東港へ向かいます。。。
≪年譜≫(由緒板より)
大宝元年(701) ・・・第42代文武天皇の叡慮を以て神地を拝領。
延暦23年(804) ・・・第50代桓武天皇の宣旨を賜り、「大恩智妙見宮」と号す。
同 ・・・大宰官伊佐兵治兼元 社殿を造営。
元永 2年(1129)・・・藤原朝臣清親公は肥前の守護職に赴任し、国内巡視の際
・・・・・・・・・・・・・・・・・霊験を得て役務を果し神恩を謝し社殿を建立・神宝を奉納し
・・・・・・・・・・・・・・・・・且つ妙見大菩薩をとなえ国家安泰・万民豊楽を祈願。
長承 2年(1133)・・・松浦地方に疫病が蔓延し妙見大菩薩に修験者誠徳院宝成坊が
・・・・・・・・・・・・・・・・・平癒祈祷を修したるところ直ちに治まりその功により
・・・・・・・・・・・・・・・・・安楽山太平寺を建立主管すると共に当社の神務を奉仕。
・・・・・・・・・・・・・・・・・この頃神仏習合の聖地として独特の信仰が高まる。
文永11年(1274)・・・十月蒙古の兵船は藤崎浦(唐津港)を襲い、鎌倉将軍惟康親王より
・・・・・・・・・・・・・・・・・怨敵退散の祈祷を仰せつけられ霊験ありて神地を賜る。
天正14年(1586)・・・岸岳城主波多三河守親公(好清)は社殿を造替し武運を祈願一族の
・・・・・・・・・・・・・・・・・尊崇も五百年もの長い間代々続けられた。
文禄元年(1592)・・・豊臣秀吉公征韓に当り武運を祈願し神宝を奉献
・・・・・・・・・・・・・・・・・此の時「北面山妙見宮」と号し延徳院藤波坊が奉仕。
元和 4年(1619)・・・唐津初代藩主寺澤廣高公は加藤清正公秘蔵の妙見尊像を
・・・・・・・・・・・・・・・・・当社に奉遷し共饌米及奉祀料を献進。
宝暦11年(1761)・・・唐津藩主土井大炊守利里公直参の上神地を寄進社殿を造営。
明和 2年(1761)・・・水野家初代藩主水野忠任公は水野家代々の代参を恒例となす。
・・・・・・・・・・・・・・・・・安永4年には水野忠鼎公が直参。
文政 2年(1819)・・・小笠原長昌藩主は当社を近海航路安全の祈願所となし崇敬。
明治 2年(1869)・・・明治新政府は神仏分離令を発し当社は神社として確立。
大正 4年(1915)・・・本殿及び拝殿を造営し神域を整備。
昭和 8年(1933)・・・本城信松宮司として赴任し、戦前・戦中・戦後に専ら神忠の誠を貫き
・・・・・・・・・・・・・・・・・神威を昂揚して郷社格に進め中興の基を開く。
昭和22年(1947)・・・戦後、神社制度を改め宗教法人として神社本庁に属す。
昭和26年(1951)・・・御鎮座1250年奉祝記念大祭を齋行。
昭和36年(1961)・・・戦後の荒廃した社殿及び神域施設の大改修整備を施行。
【妙見神社】:佐賀県唐津市藤崎通7022⇒[ 地図 ]




唐津市のフリーペーパー「からつちゅ」に妙見神社の写真を載せたいと思い、ホームページ上の写真を使わせてもらえますか?
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