2010年01月09日

福岡神社巡り2日目〜C【筥崎宮】(福岡市東区)

福岡県福岡東区箱崎に鎮座します【筥崎宮(はこざきぐう)】

筥崎宮は「筥崎八幡宮」とも称し、大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。

平安時代の中頃である延喜21年(921年)醍醐天皇(ごだいごてんのう)が八幡大神の神勅により「敵国降伏(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)穂波郡(ほなみぐん)の大分(だいぶ)宮(現:飯塚市大分)より遷座されたとつたえられます。

また、蒙古(もうこ)襲来(元寇)の文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)、元・高麗軍は博多付近に上陸、わが軍と激戦を交えましたが、神風が吹き荒れ敵は敗退。未曾有の困難に打ち勝ったことから、“厄除・勝運の神”としても有名です。
筥崎宮@.JPG

≪御祭神≫
 ・応神天皇(おうじんてんのう) 【誉田別命(ほむたわけのみこと)】[八幡大神]
 ・神功皇后(じんぐうこうごう) 【息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)】[応神天皇の母君]
 ・玉依姫命(たまよりひめのみこと) [海の神・神武天皇(じんむてんのう)の母君]

筥崎宮.JPG 『古記に曰(い)ふ。延喜11年辛巳6月21日、
 八幡大神の託宣に、吾(われ)穂波郡の大分宮
 (だいぶみや)に移住後、三悪(みつのいみ)あり。
 一には竈門宮は、我(わが)伯母にておはします。
 ・・・然(しかる)に、年中節會(ねんちゅうせちゑ)に、
 府官以下、國司 雑司の参り來る間、愚暗(おろか)
 な輩、或は馬に乘ながら遙拝し。或は笠をきて
 御前(みまえ)を渡る。是甚(これはなはだ)(おそれ)
 あり。
 二には、郡司・百姓、膳を供へて饗(もてな)す。
 嶮岨(けわしきところ)の山を越、數日(かずえるひも)
 民の煩(わずらい)をいたす。
 三には、放生は是 海上の事也。穂波宮は已
 (すで)に放生の地にあらず。これによりて、彼地
 (かのち)を避て、箱崎の松原に移り住むと欲(おも)ふ。
・・・(中略)・・・御殿を乾に向、柱に柏を用ゆべし。末代に至り、異國より我國をうかがふ事あらば、我 其(その)敵を防去べし。故に敵國降伏の字を書き礎(いしずゑ)の西、吾(わが)(みくら)の下におくべし・・・』(筑前國風土記)
【古い文献によると、延喜11年(911年)辛巳6月21日、八幡大神の託宣に。
私(八幡大神)が穂波郡の大分宮(飯塚市大分の大分八幡宮)に遷座の後、三つの好くないことがある。
1つ目は、竈門宮(竈門神社)は、私の伯母でいらっしゃる。(伯母のように親しんでいる玉依姫がいらっしゃる)・・・しかしながら、年中節会(ねんちゅうせちゑ)に、府官以下、国司・雑司が(大分八幡宮に)参詣して来る間、愚暗(おろか)な者は、馬に乗ったまま遙拝したり、笠をかぶったまま(竈門神社の)御前を渡っていったりする。これはとても恐れ多い。
2つ目は、郡司、百姓は膳を供えてもてなす。山の嶮岨(険しい所)を越えるため、数日も民の世話(わずらい)になる。
3つ目は、放生(会)は海上の事(神事)である。穂波宮(大分八幡宮)は、すでに放生(会)の地(として適した所)ではない。それで、彼地(穂波宮・大分八幡宮)を避て、箱崎の松原(箱崎八幡宮)に遷座したいと思う。・・・(中略)・・・御殿(本殿)を乾(北西)に向け、柱に柏を用いよ。もし後の代になって、異国が我国に攻めてくる事があれば、私(八幡大神)は、その敵を防ぎ退去させよう。ゆえに「敵國降伏」の字を書き礎(いしずえ)の西、私のいる傍(もと)に置きなさい・・・】

これにより、八幡大神はこの筥崎宮に鎮座することになり、蒙古襲来の時もお社は戦火をかぶりましたが、神風吹きて敵を敗退させたのであります(^^)


この筥崎宮には、足利尊氏(あしかがたかうじ)、大内義隆(おおうちよしたか)、小早川隆景(こばやかわ たかかげ)、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将も参詣ぴかぴか(新しい)
明治18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められました。


楼門
筥崎宮A.JPG

文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立したそうです。
上にかかれてある「敵国降伏」は、筥崎宮に伝存する第一の神宝である「敵国降伏の御宸筆」を謹写拡大したものだそうです。

神宝である「敵国降伏の御宸筆」は、紺紙に金泥で鮮やかに書かれた縦17.5cm、横18.3cmで全部で37葉(よう)あり、社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があります。
特に文永11年(1274)蒙古(もうこ)襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇は「敵国降伏」の御宸翰(ごしんかん)を筥崎宮に下賜されました。

拝殿・本殿は写せませんでしたが、社殿は天文15年(1546)に、大内義隆により再建されたものだそうです。

御神木「筥松(はこまつ)」

筥崎宮B.JPG

楼門のそばにある朱の玉垣で囲まれた松

〜千早振る 神代に植えし箱崎の 松は久しき 標しなりけり〜(続古今集)

「筥松」または「漂(しる)しの松」と呼ばれ、応神天皇が筑紫國宇美の里(福岡県粕屋郡宇美町)でお生まれになった時(西暦200年)の御胞衣(おえな)を箱に入れ、この地に納めたしるしとして植えられた松です。
また、筥崎(箱崎)の地名は、この筥松が由来になっているそうです(^^)





「湧出石」

−-筥崎宮D.JPG
筥崎宮E.JPG

この石にふれると運が湧き出るといわれ、招福開運の信仰があります。
また、国に一大事がある時地上に姿をあらわすという古い言い伝えがある石です

(由緒板より)

ということで、石にふれて八幡様のパワーをいただきました(^人^)ぴかぴか(新しい)



「大楠」
筥崎宮F.JPG
かなり立派な大楠ぴかぴか(新しい)



↓↓熊(笑)
筥崎宮H.JPG
大楠の近くにあった池

最近、熊、隈に縁がある私です(^^;)
夢にまで出てきますから(笑)


さて、だんだんと暗くなってきましたが、つづいて「香椎宮」へ

筥崎宮(はこざきぐう)】
〒812-8655 福岡東区箱崎1-22-1⇒[ Yaho!地図 ]
・筥崎宮 社務所 092-641-7431
ラベル:福岡県 神社
posted by miya at 00:00| 大分 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(福岡県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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