この会所山の山頂の周辺には弥生時代の甕館(かめかん)の出土のほか、鳥羽宿禰(とばのすくね)の鳥羽塚などの古墳や古い社祠の類も多くあり、日田の古代を育んだ土地と言われているそうです。
山頂には、日田の地名になったといわれる久津媛を祀る「久津媛神社」があり、西の麓には「会所山神社」があるということで参拝することにしました。
こちらが【会所山神社(よそやまじんじゃ)】(会所八幡神社)です。
≪御祭神≫
・応神天皇(おうじんてんのう)【譽田別命】
・神功皇后(じんぐうこうごう)【息長足姫命】
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)【足仲彦命】
・大足彦忍代別命(おほたらしひこおしろわけのみこと)【景行天皇】
・比佐津媛神(ひさつひめのかみ)【久津媛神】
・大己貴命(おほなむちのみこと)
車を神社の前に止めようと思いましたが、駐車禁止の立て看板がありどこに止めていいかわからずグルグルしていたら、近所の方が「参拝される方はここに止めて行きますよ」とわざわざ誘導してくださいました!
ありがとうござますm(^^)m
この神社は、仁壽3年(853年)〜延喜10年(910年)まで国司を務めた日田郡司の大蔵永弘によって、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の八幡三柱が祀られ「会所八幡神社」と呼ばれていましたが、のちに会所山の山頂にある「久津媛神社」より、久津媛神(比佐津媛神)・景行天皇(大足彦忍代別命)を分祀し、東の頂きに鎮座していた大己貴命(大国主神)を合祀したことにより、現代は「会所山神社」という社号になっているそうです。
ということで会所山神社の神々様にまずご挨拶(^人^)
会所山神社の前にある『会所宮(よそみや)』の案内板です
『豊後風土記』によると、この場所は 筑紫から日田に入った景行天皇(大足彦忍代別命)を、久津媛(比佐津媛)という神が人に姿を変えて出迎えたところと伝えられています。
また、日田国造(ひたのくにのみやつこ)に任命された鳥羽宿禰(とばのすくね)が移住し館を設けた(470年頃)ことで『会所宮(えそみや)』とよんだと云われていますが、もっと古くは、神功皇后(じんぐうこうごう)三韓征行の時(200年10月3日〜)にこの地に将兵が集められて軍議が催されたことに由来して『会所宮(ゑそみや)』 と呼ばれるようになった所だそうです。
その会所宮とも呼ばれる会所山の山頂の『久津媛神社』に続いて向かうことにしました(^^)/
久津媛神社に行くには、「会所宮神社」の社殿の右側にある階段↓↓を登って行きます。
階段を登りきると、右足元には【←久津媛神社】と書いてある案内板が。
前を見ると小さな広場になっています。
しかし、神社らしきものはなく先のほうに石の鳥居が見えます。
どうやら、まだまだ先のようです(^^;)
広場を少し進むと左側には会所山の案内版がありました
会所山の山頂周辺には古代遺跡が散在している・・・ということを書いています。
古代の息吹を感じますね
「久津媛神社」の鳥居です
一礼してくぐります。
・・・と、階段が。
・・・と、階段が。
・・・の上には、大きな白い丸い建物が・・・上水道配水池なるものらしいです。
ちょっぴり神社とは不釣り合いなのが気になりますが(^^;)
(すみません・・・)
ちょっぴり神社とは不釣り合いなのが気になりますが(^^;)
(すみません・・・)
この階段を登るとまた「久津媛神社→」と書いた案内板が・・・、どうやらこの案内板が所々にあるようです。
どんどん進んでいくと上のほうにも上水道配水池があり、その前にも案内板があるので、それにしたがって、ぐるっと回る感じで進んでいきます。
しばらく進むと、フェンスにそって階段を登る感じになります。
階段を登りきると、写真のような分かれ道っぽい道がありますがそのまま(ちょっと右寄り)にまっすぐ進みます。
草が結構生えてどこがどこなのか正直分かりづらいです・・・(^^;)
が、草を踏みつけたあとがあったので、それをたよりに進んでいくと、草に埋もれるように立つ石碑のようなものがありました。
どうやら頂上についたようです(^^)
草をかき分け左側から回って石碑に近づいてみると、『景行天皇御遺蹟』と刻まれています。
「景行天皇御遺蹟」
景行天皇が訪れたことを伝えている遺蹟だそうです。
そして、石碑の右奥にお社を発見!
草をかき分け奥に進んでいくとやっとお社に到着です\(^^)/
こちらが【久津媛神社(ひさつひめじんじゃ)】です(^人^)
≪御祭神≫
・久津媛神(ひさつひめのかみ)【比佐津媛神】
・大足彦忍代別命(おほたらしひこおしろわけのみこと)【景行天皇】
『豊後國風土記』にはこう記されているそうです。
昔者。纏向日代宮御宇大足彦天皇。征伐球磨贈於。凱旋之時。發筑後國生葉行宮。幸於此郡。有神名袁久津媛。化而爲人參迎。弁撓消息。因斯袁久津媛之郡。今謂日田郡者訛也。
【昔、纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)で即位された大足彦忍代別天皇(景行天皇)が、球磨贈(くまそ)を征伐して、この地(日田)の地を訪れた時、久津媛(ひさつひめ)という神が人の姿で天皇を迎えられて、土地の状況を述べられたことに因んで、「久津媛之郡」(ひさつひめのこほり)といっていましたが、今に「日田郡(ひたのこほり)」というのはこれが訛ったものと伝えられている】
(正直、私には「豊後國風土記」は読めませんので、今回一緒に同行してくれた歴史に詳しい友人から教えていただきましたm(^^)m)
現在の「日田」という地名は、久津媛が由来になっているのですね(^^)
久津媛神社が鎮座する会所山は比佐津公園(ひさつこうえん)となっています
さて、日田の出発点に来ましたので、この後は日田巡り〜ってわけではありませんが、日田の三隅(丘)といわれる「日隈」・「月隈」・「星隈」へ向かいました
>>日隈・月隈・星隈(大分県日田市)へ
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≪写真追加≫2010年1月17日撮影
久津媛神社 景行天皇御遺蹟(手前左)・久津媛神社(右奥)
会所山山頂境内 景行天皇腰掛石
――――――――――――――――【会所山神社(えそやまじんじゃ)】:大分県日田市大字田島→地図
【久津媛神社(ひさつひめじんじゃ)】:大分県日田市大字田島田島→地図