≪御祭神≫
・菅原道眞命(すがわらのみちざねのみこと)【天滿天神(あめみつあめのかみ)】
昌泰4年(901年)、右大臣兼右大将であった菅原道眞(すがわらのみちざね)公は、左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)たちの陰謀により、無実の罪で大宰権帥(だざいごんのそち)として筑前國大宰府に左遷され、延喜3年(903年)2月25日、大宰府の南館(榎寺)で生涯を終えました。
その後、菅原道眞公の御遺骸を牛車に乗せ進める途中、現在の太宰府天満宮まで来ると、牛が止まって動かなくなったので、「これは、道眞公の御心によるものであろう」と、その大宰府の聖地に御遺骸が葬られました。
その後、菅原氏族が周防國大島郡大畠【現・山口県大島郡周防大島町大畠】を領し菅原の姓を大畠に改め、天正年間、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって羽柴秀長(はしばひでなが)の軍勢が周防に入ってきた際、大畠氏は豐後國海部郡福良莊宮畠に逃れ、代々守護してきた天神像(菅原道眞公の像)を、鎮南山の麓に社殿を建立して、お祀りしたと伝わります。
これが福良天満宮の始まりです。
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