≪御祭神≫
[一ノ宮]
・底筒男神(そこつつのをのかみ)
・中筒男神(なかつつのをのかみ)
・表筒男神(うはつつのをのかみ)
[二ノ宮]
・神田宗次命(こうだむねつぐのみこと)
[相殿]
・罔象女神(みつはのめのかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)三韓出兵に際し住吉三神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)に航海の安全を祈願され、帰還の後 報謝のため松浦の海濱に宝鏡を捧げて三神を祀ったのが始まりと伝わります。
その後天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次(こうだむねつぐ)が神夢によって海上より1つの宝鏡を得、これはまさに神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったといいます。
文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田廣が社殿を改築し神田を寄進して、神田宗次 の霊を二ノ宮に勧請。
さらに慶長年中に寺澤氏が唐津城を築いた際、境内も整備し社殿を改築、また城内火伏のため罔象女神(みつはのめのかみ)を相殿に勧請したそうです。
以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けてきたといいます。
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