≪御祭神≫
[中座]・須佐之男命(すさのをのみこと)
[右座]・天照大御神(あまてらすおほみかみ)
[左座]・菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
JR筑後草野駅から南西約500m、151号線沿いに鎮座しています。
古くは草野祇園社と称されていた須佐能袁神社は、建久8年(1197年)平家討伐に軍功があり、源頼朝から筑後国在国司 押領使に任じられていた竹井城主・草野永平(くさの ながひら)が京都の八坂神社より勧請し創建されたと言われ、草野家代々の守護神として崇敬厚く奉祀されてきました。
後に草野家は発心城(ほっしんじょう)に移り、その後の天正15年(1588年)、豊臣秀吉が九州平定の際、草野家の末裔である発心城主・草野家清(くさの いえきよ)が山門郡南関で蜂須賀阿波守(はちすがあわのかみ)に謀殺され、これにより草野家が滅亡、神社も荒廃していきましたが、草野家に代わって草野町民の手により今日まで氏神として奉祀されてきたそうです。
神仏混合時代には「勝光山祇園寺」とも呼ばれていたそうですが、明治4年に神仏分離の政令により「須佐能袁神社」と称するようになったそうです。
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