≪御祭神≫
・安徳天皇(あんとくてんのう) 【水天皇大神】
寿永4年(1185年)3月24日、壇ノ浦の合戦の平家の敗北により、安徳天皇は御歳僅か八歳の幼さで、平家一門とともに壇之浦に入水崩御されました。
最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)に抱き寄せられた幼い安徳天皇は、「尼ぜ、私をどこへ連れていくのか」と問いかけると、二位尼は涙をおさえて「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます」と答えて、安徳天皇とともに壇ノ浦の急流に身を投じたと伝わります。
安徳天皇の御遺体は発見できなかったそうですが、赤間ヶ関(下関)の紅石山麓の阿弥陀寺境内に奉葬し、建久2年(1191年)勅命により御陵上に御影堂が建立され、建礼門院御乳母の女 少将の局命阿尼を奉仕させました。これが赤間神宮の始まりです。以後、勅願寺として崇敬を受けてきました。
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