博多湾の北、海の中道(砂州)と陸続きで繋がった「志賀島」
(しかのしま)。
神功皇后の三韓征伐の際に立ち寄ったとされ、島が打昇浜
(うちあげのはま)【海ノ中道】と連なりほとんど同じ所といってよいということから、「近島」とよんだものがなまって「資珂島」となったと伝えられています。
その志賀島の入口、勝山の麓に鎮座するのが、全国の綿津見神社、海神社の総本宮(海神の総本社)と称される【
志賀海神社】(しかうみじんじゃ)です。
≪御祭神≫
[左殿]・
仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ) ┗(相殿)・
神功皇后(じんぐうこうごう) [中殿]・
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ) ┗(相殿)・
玉依姫命(たまよりひめのみこと) [右殿]・
表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)【上津綿津見神】
┗(相殿)・
應神天皇(おうじんてんのう)創建は不詳ですが、古くは島の北の勝馬の地に表津宮・仲津宮・沖津宮の三社で奉斎されており、およそ1800年前、神功皇后の三韓出兵に際し舟師を率い御舟を導いた阿曇磯良丸
(あづみいそらまる)をして、表津宮(底津綿津見神)をこの勝山の麓に遷座し、併せて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。
古来より「龍の都」と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命
(いざなぎのみこと)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓
(みそぎはらひ)をされた際に、住吉三神(住吉大神)と共に御出現された綿津見三神をお祀りしています。
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posted by miya at 11:00| 大分 ☁|
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