2015年03月23日

【青島神社】(宮崎県宮崎市)

宮崎県宮崎市青島に鎮座する【青島神社】(おあしまじんじゃ)

神門.JPG

≪御祭神≫
 ・彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
      └【天津日高日子穂穂手見命/火袁理命/虚空津日命/山幸彦】
 ・豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)【豊玉毘賣命】
 ・鹽筒大神 (しほつつのおほかみ)【塩椎神(しほつちのかみ)


宮崎県宮崎市の南東部海岸付近にある周囲860mの青島(あおしま)
その青島の南西に位置するのが青島神社です。

青島.jpg


社伝によれば、山幸彦海幸彦神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)からご還幸された際に、青島に上陸して宮を営んだため、その御宮居の跡に3柱の神を祀ったのが始まりと伝えられます。
創始年代は不詳ですが、平安期(約1200年前)の国司巡視記「日向土産」の中に、「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と記されていたと伝えられています。
文亀(室町時代)以降は、藩主伊東家の崇敬厚く、社殿の造営・改築が行われたそうです。

青島神社 (3).jpg



青島神社 (2).jpg

神門の扁額には「日向國青島総鎮守 鴨就宮」と記されていますが、これは、明治時代初期まで社号を「青島鴨就宮(あをしまのかもつくみや)」と称していた由緒を伝えるものだそうです。
また青島は、鴨が飛来する島なので「鴨就島」、島が歯朶状の岩床(鬼の洗濯岩)に浮いているようなので「歯朶(しだ)の浮島(うきしま)」の別名があります。

古くは霊地として神職と藩の島奉行だけが入島を許されており、旧暦3月に行われる島開き祭から3月末の島止め祭の期間のみ一般の入島が許可されていたそうですが、元文2年(1737年)当時の宮司長友肥後が一般の入島を藩主伊東氏に願い出て、現在のように誰でも入島できるようになったそうです。


社殿
青島神社.jpg


御成道(おなりみち)
056.JPG

社殿の右側の神門を進んでビロウ林の中の御成道を60m奥に進むと元宮があります。

御成道は、明治40年10月31日、大正天皇皇太子の御時、西国御巡幸の際、青島に御成りになり林中に玉歩を遊ばされ、その機に整備された道です。


青島神社の元宮
青島神社 (4).jpg

青島神社の元宮と伝えられます。
元宮跡から、弥生式土器、獣骨等が出土し、古い時代から小祠があり、祭祀が行われたものと推定されています。

元宮案内板
青島神社元宮・案内板.JPG


◎境内社
【海積神社】
 ・豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
 ・少彦名命(すくなひこなのみこと)
【石神社】(いそじんじゃ)
 ・彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと)
 ・木花咲屋姫命(このはなのさくやびめのみこと)
 ・磐長姫命(いはながひめのみこと)

鬼の洗濯岩
鬼の洗濯岩.JPG


青島・鬼の洗濯岩.jpg

2015.05.25 写真追加

【海幸彦山幸彦神話】

天孫降臨・瓊瓊杵命(ににぎのみこと)は木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやびめのみこと)との間に、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火袁理命(ほをりのみこと)別名を天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)を授かりました。

生まれた三柱のうち、火照命は海幸彦(うみさちびこ)として海で魚を捕り、火袁理命は山幸彦(やまさちびこ)として、山で獣を捕って暮らしていました。

ある時、弟の火袁理命は兄の火照命に「獲物をとる道具をお互いに交換しませんか」と提案しました。
火照命はあまり乗り気ではありませんでしたが、火袁理命があまりにも頼むので渋々それに応じました。
そして火袁理命が海で魚を、火照命は山で獣を狩りに行いましたが、どうもうまくいかない。

そこで火照命は火袁理命に「やはり、山幸彦は山の幸、海幸彦は海の幸。自分の道具でなくてはとることができないのだろう。さあ、たがいに道具を元通りに返そう」と迫りました。ところが、火袁理命は魚がとれないばかりか、兄の大切な釣り針を海でなくしてしまっていたのです。
それを聞いた火照命は激怒してしまいました。火袁理命は困り経て、自分の剣を壊して500本の釣針を作って償おうとしましたが、「元の釣針でないと受け取らない。」と突き返されてしまいました。

火袁理命は途方に暮れ海辺で泣いていると、塩椎神(しほつちのかみ)がやってきて、「なぜお前は泣いているのかね」と尋ねました。
火袁理命が今までの経緯を話すと、塩椎神は、いい考えがあると言って、竹で編んだ小舟を造って火袁理命を乗せ、「私がこの舟を押し流したら、しばらくそのまま進みなさい。きっとよい塩路があるので、その流れに乗れば魚の鱗のように棟が並びたつ宮殿が見えてきます。そこは綿津見神(わたつみのかみ)の宮です。宮殿の門についたら、かたわらの泉のほとりにある桂の木に登りなさい。綿津見神の娘があなたを見つけて相談にのってくれるでしょう。」

教えの通りに、火袁理命が綿津見神の宮に着き、桂の木に登って待っていると、綿津見神の娘・豊玉毘賣命(とよたまびめのみこと)の侍女が水を汲みに現れ、火袁理命の姿に気づきました。
火袁理命が「水が欲しい。」と言うので、侍女は持っていた器に水を入れて差し上げたが、火袁理命は水を飲まずに首にかけていた首飾りの珠を緒からはずして口に含むと、水の入った器に吐き入れた。すると珠は器にくっつき、取れなくなってしまいました。
驚いた侍女は、それを豊玉毘賣命のもとに持っていき、その器をめぐる顛末を報告しました。
豊玉毘賣命は自分の目で確かめようと門の外に出てみると、火袁理命を一目見るや、その麗しい姿に一目で心奪われてしまいました。
宮殿に戻った豊玉毘賣命は、そのことを父の綿津見神に告げると、父はその男を見るなり、「この方は、天津日(あまつひこの)の御子、虚空津日(そらつひこ)だ」と言って宮殿に招きいれました。
そして豪華な食事や、美しい舞を披露し、火袁理命を婿としてもてなしたのでした。そうして火袁理命は豊玉毘賣命とともに海の宮殿で暮らしました。

それから3年の月日が経ったある日、火袁理命は兄の釣針を無くしここに来たことを思い出して、大きくため息をつきました。このため息を耳にした豊玉毘賣命は心配して父の綿津見神にこのことを伝えました。
綿津見神が婿に尋ねると、火袁理命は、釣針をなくして兄が激怒していることなど今までの経緯をすべて話しました。
それを聞いた綿津見神は、海の魚を集めて、釣り針について聞きました。すると魚たちは口をそろえて「このごろ、鯛が喉にとげが刺さって物も食べられないと嘆いています。今日もそのせいで来ていません。」と答えました。そこでその鯛を呼んで喉を探ってみると、釣針が見つかりました。それを取り出して洗い清め、火袁理命に献上する際、綿津見大神はこう伝えました。
「この釣針をお兄さんに返す時に『この釣針は、淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤』と唱えながら、後ろ手に渡しなさい。もし兄が高い土地に田を作ったなら、あなたは低い土地に、兄が低い土地に作ったなら、あなたは高い土地に田を作りなさい。そうなさったら私は水を思いどおりできますので、3年のあいだには必ず兄は貧しくなることでしょう。
もし、兄がそれを恨んで攻めてきたら、鹽盈珠(しほみつたま)を取り出して溺れさせ、もし許しを乞うなら鹽乾珠(しほふるたま)を取り出して助けてあげなさい」

こうして鹽盈珠と鹽乾珠を授かった火袁理命は、綿津見神の鮫(わに)の背に乗って、1日で海宮から元の海岸に帰りつきました。
火袁理命が海の神の教えのとおりに兄に釣針を返すと、火照命はしだいに貧しくなっていきました。
そのことで弟を恨むようになった火照命は攻めたててきましたが、火袁理命から鹽盈珠と鹽乾珠で何度もあしらわれてしまい、とうとう火照命は降参し「私はこれから先、火袁理命あなたの守護人となって仕えましょう」と誓いました。

これ故、兄の火照命を先祖とする隼人族は、火袁理命の子孫である天皇家に仕えることになったそうです。

青島神社】:〒889-2162 宮崎県宮崎市青島2丁目13−1⇒[ Googleマップ ]

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posted by miya at 20:00| 大分 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(宮崎県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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