2011年05月26日

【北斗宮】(福岡県嘉麻市)

福岡県嘉麻市大隈町に鎮座する【北斗宮】(ほくとぐう)

入口-.JPG

≪御祭神≫
 ・天之御中主大神あめのみなかぬしのおほかみ) 
 ・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
 ・伊邪那美神(いざなみのかみ)

北斗宮は、国道211号線と国道322号線がちょうど交差する「大隈」信号から、国道211号線を南東に約550m進んだ所にある信号を左折して、200mほど進むと右側に見えてきます。

天智天皇9年(671年)若本連(わかぎのむらじ)という人が、北斗星の信仰篤く、益富山に「北斗大明神」として勧請したのが「北斗宮」の起源になるそうです。

天正6年(1578年)龍造寺隆信の兵乱によって社殿を焼失しましたが、御神体は樹齢二千数百年の大楠の下に奉安して安泰、以後大楠神社を祀ります。
その2年後の天正8年(1580年)3月に秋月藩主・秋月種実が社殿を再建。
慶長5年(1600年)に黒田長政が筑前福岡藩主となってからは筑前十五神の一の宮として歴代の藩主から手厚く保護されたといいます。
明治4年(1871年)政令により、社名を「下益神社」と改称。
昭和42年(1967年)神社庁並びに福岡県知事の認承により『北斗宮』に改称されました。


一の鳥居                   注連縄柱・二の鳥居
鳥居-.JPG 鳥居・参道-.JPG


元陸軍中将・香椎浩平氏の石碑
香椎浩平氏の石碑.JPG


参道階段
遥拝所.JPG

ここをくぐり長い階段を登っていくと「北斗宮」が見えてきます。


参道・社殿
参道・社殿.JPG


社殿
参道・社殿 (2).JPG

奉納絵馬
奉納絵馬.JPG 奉納絵馬 (2).JPG



御本殿
御本殿.JPG



下境内の左手にある「御神輿」
御神輿.JPG


階段下の右手にある横道を北斗宮のほうに登っていくと、御神木の大楠があります。


御神木「北斗宮の大クス
御神木 (2).JPG
市指定天然記念物

樹高約45m、胸高周囲5.8m、枝張り約14m。

『筑前国続風土記』に、「産土神は北斗宮。同宮側に大楠樹があり、周り3尋根本の空虚な所はたたみ8畳程で『国中第一の大木也』とする」と記載された縄文中期時代の生木といわれている強大な御神木は、寛政年間に火災に遭い、朽ちて枯れてしまったそうですが、現在の大楠はその子にあたるもので樹齢約600年と伝えられているそうです。

≪境内祭祀神社≫
大楠神社】御神木である樹齢2000年の大楠樹を御神体として祀っています。
恵比須神社】・事代主神
玉姫稲荷神社】・宇迦之御魂命
松尾神社】・大山咋神

北斗宮

 天之御中主神 [天地創造の中心の神]
 伊邪那岐神  [天地創造の陽の神]
 伊邪那美神  [天地創造の陰の神]

人皇第三十八代天智天皇の御代(紀元一三三一)若本連と言う人、北斗星の信仰篤く益富山に北斗大明神として勧請し、延命長寿縁結びの神として崇敬を集めたのが北斗宮の起源となる。
天正六年龍造寺隆信の兵乱によって神殿が焼失するも御神体は樹齢二千数百年の大楠の下に奉安して安泰、以后大楠神社を祀る。
大楠神社は武運長久事業繁栄の神として崇敬さる。(元禄十年筑前貝原好吉の古文書による)
天正八年三月秋月藩主秋月種実公現社殿を建立す。
慶長年間黒田長政公筑前藩主となり当神を筑前十五神の中、一の宮と定め尚歴代の藩主の崇敬篤く年々数々の寄進を受く。
明治四年政令により下益神社の社名をもって祭祀さる。
昭和八年県社に昇格す。
昭和四十二年十二月四日、神社庁並に福岡県知事の認承により北斗宮と称す。
昭和五十一年五月壱千参百年祭を実施、社殿修復す。
昭和六十三年十月神殿大改修社務所新築今日に至る。

 (境内「由緒石碑」より)

北斗宮】:福岡県嘉麻市大隈町⇒[ Yahoo!地図 ]

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posted by miya at 16:57| 大分 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(福岡県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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