2010年12月11日

【若八幡神社】(福岡県田川市)

福岡県田川市夏吉に鎮座する【若八幡神社

若八幡神社 (2).JPG

≪御祭神≫
 ・神夏磯媛命(かむなつそひめのみこと)
 ・仁徳天皇(にんとくてんのう) 【大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)】
 ・応神天皇(おうじんてんのう) 【八幡大神/品陀和氣天皇(ほむだわけのすめらみこと)】
 ・神功皇后(じんぐうこうごう) 【息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)】
 ・小笠原忠眞命(おがさわらただまさのみこと)

香春岳一ノ岳の麓の香春神社より西に約2Kmの所の県道405号線沿いに鎮座しています。

御祭神の神夏磯媛(かむなつそひめのみこと)は、第十二代景行天皇の熊襲征伐に際し、天皇を周防の佐波【山口県防府市】まで出迎え、皇命に従おうとしない者の情報を提供し、筑紫(九州)平定に寄与した一国の首長で、この夏吉地域開発の祖神とされる地主神です。


日本書紀には、
『・・・爰有女人 曰神夏磯媛 其徒衆甚多 一國之魁帥也 聆天皇之使者至 則拔磯津山之賢木 以上枝挂八握釼 中枝挂八咫鏡 下枝挂八尺瓊 亦素幡樹于船舳 參向而啓之曰 ・・・』
「・・・爰(ここ)に女人(をみな)有(あ)り。神夏磯媛(かむなつそひめ)と曰(い)ふ。其(そ)の徒衆(やから)甚多(にへさ)なり。一國(ひとくに)の魁帥(ひとごとのかみ)なり。天皇(すめらみこと)の使者(つかひ)の至(まうく)ることを聆(き)きて、則(すなは)ち磯津山(しつのやま)の賢木(さかき)を拔(こじと)りて、上枝(ほつえ)に八握釼(やつかつるぎ)を挂(とりか)け、中枝(なかつえ)に八咫鏡(やたかがみ)を挂(とりか)け、下枝(しづえ)に八尺瓊(やさかに)を挂(とりか)け、また素幡(しらはた)を船(ふな)の舳(へ)に樹(た)てて、參向(まうでき)て啓(まを)して曰(まを)さく。・・」
磯津山【北九州市小倉南区の貫山】の榊を抜きとり、上の枝に八握釼(やつかつるぎ)をかけ、中枝に八咫鏡(やたかがみ)をかけ、下枝に八尺瓊(やさかに)をかけ、素幡(しらはた)を船の舳に立てて出迎えたと記されています。


それから127年後、神功皇后の御宇9年(209年)3月25日、神夏磯媛の後裔にあたる夏羽(なつは)は朝廷に恨みを持ち、神功皇后の暗殺を企てた妹の田油津媛(たぶらつひめ)を援護するため軍勢を率いてかけつけている途中、山門縣(やまとのあがた/現在の福岡県山門郡瀬高町のあたり)で妹が敗戦したことを知り、館に逃げ帰って立て篭もったところを、追ってきた神功皇后の軍勢に焼き殺されてしまいます。
それ以来、この村を夏羽焼(なつはやき)、夏焼(なつやき)と呼ばれるようになったそうです。

その後、光仁天皇(こうにんてんのう)の御宇(709年〜782年)、夏羽の亡霊の祟りを鎮めるために大宮司屋敷に「宇佐神宮」が勧請され、そして慶長13年(1608年)2月3日、現在地に遷座されました。

現在は、仁徳天皇(応神天皇の若宮)を合わせ祀るために「若八幡」といわれますが、これは、平清盛が香春岳鬼ヶ城の守護神として仁徳天皇の神霊を京都の平野神社より勧請して香春岳の中腹にお祀りされていたのを、合祀したものだそうです。

江戸時代になって小笠原忠眞(おがさわらただまさ)が若八幡神社を参詣された時、この村は困窮のどん底にあり、村人たちを救済するため色々な施策を行い、それと共に、不吉な村名の「夏焼」を「夏吉(なつよし)」に改めました。
村人は小笠原忠眞に感謝し、逝去された後、相殿に小笠原忠眞の神霊を祀り、享和元年(1801年)には朝廷より、小笠原忠眞の神霊に「輝徳霊神」の神号と霊璽を賜り現在に至るといいます。


若八幡神社・鳥居 (2).JPG


拝殿
若八幡神社.JPG 拝殿.JPG


境内風景
若八幡神社(1).JPG


境内社【稲荷社】
稲荷神社.JPG
≪御祭神≫
 ・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)


境内より
境内より.JPG

参道を包むように繁る木々が美しいですぴかぴか(新しい)

若八幡神社】:福岡県田川市夏吉⇒[ MAPPLE地図 ]


posted by miya at 13:33| 大分 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) |  ├ 神社・神宮(福岡県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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